妻、実佐子の中にもう1人の女性がいる。知彦は、いつもの控えめな妻ではなく奔放で、底意地の悪い女性の出現に驚く。彼女は、肉体は実佐子そのものであるにもかかわらず「あたしはあいつじゃないわよ」「トモミよ」とうそぶく。精神科医の杉本は実佐子が解離性同一性障害、すなわち多重人格であると診断し、催眠治療を施す。その過程で第3の女性、絵里が現れる。絵里は、知彦が初めて出会い、恋に落ちた頃の実佐子のように無邪気な笑顔の女性だった。3人のうち、誰が本当の実佐子なのか? 知彦の妻はいったい誰なのか? そして第4、第5の女性が現れてくるのか?
多重人格は、オカルト的な興味で私を惹(ひ)きつけてやまない。本書も、最初はオカルトミステリーでも読むように実佐子の中に次々と現れる多様な女性に驚愕(きょうがく)しながら、なぜこんなことが起きるのか、興味津々でページを繰っていた。
しかし途中からは、いったい自分は何者なのかと真剣に問いかける私がいた。これは実佐子の問題ではない。私自身の問題なのだ。私の中にもうそつき、正直、謙虚、傲慢(ごうまん)など多様な人格が同居している。とりあえず折りあいをつけているが、実はどれが本当の自分なのかさっぱり分からない。いつ何時、壊れてしまうかもしれない危うさを抱きながら私は生きている。
実佐子は高校の修学旅行で奈良の興福寺に行き、阿修羅像と出会い、「これは自分の姿なのだ」と思った。阿修羅像には三つの顔と6本の手がある。実佐子は、自分の中で葛藤(かっとう)する3人の女性を像に映していたのだ。
今年、朝日新聞社が「国宝 阿修羅展」を開催し、150万人以上が訪れたという。多くの人々が像を見つめながら実佐子と同様に自分とは何かという人間存在の根源的な問いかけをしたのではないだろうか。
本書は、最新の精神神経科学を駆使し、真正面から人格の闇に切り込んだ問題作だが、知彦に座禅を指導する僧侶の「本当の自分など邪魔になる」という言葉に、私はようやく救われた気持ちになることができた。
2009/12 日本経済新聞