2011年3月。湯島天神の境内で玄侑さんに突然こう訊(き)かれた。
「『ソロモンの犬』の登場人物たちのその後を、まったく別な環境のなかで書いてみたいんですけど、……いいですかね。」
『ソロモンの犬』(文芸春秋)というのは僕が以前に刊行した長編小説で、玄侑さんがひどく気に入ってくれた一作だった。主人公たちの行く末が気になって仕方がないので、自分で続編を書きたいのだという。僕は長年、玄侑さんのファンだったので、これはとんでもないことが起きたぞと慌て、しかしもちろん最終的にはぶんぶん首を振って承諾した。楽しみで仕方がなく、その夜は何度も枕をひっくり返しながら、なかなか眠れなかった。
東日本大震災が起きたのは、その三日後のことだった。玄侑さんが住職を務める福聚寺(ふくじゅうじ)も甚大な被害を受け、巨大な現実が物語を圧倒し、すでに作品を書きはじめていた玄侑さんの手は止まった。
それから数年のあいだ、玄侑さんは復興支援に奔走しながらも、『光の山』(新潮社)といった作品でフクシマに生きる人々を丹念に描きつづけ、やがて『ソロモンの犬』の主人公たちも同じ土地に居場所を見出した。彼らはフクシマで物語を紡ぎ、とうとうこの『竹林精舎』という、切なく美しい小説が完成した。
この作品はもちろん拙著を読んだことのない人でも味わうことができる。いや、いまや僕にとってさえ、むしろ『ソロモンの犬』のほうが「『竹林精舎』の主人公たちの若い頃の話」といったイメージになっている。自らつくった物語を上書きしてしまうほどの、素晴らしい小説だった。
地震、そして過去に目撃した悲しい死。それらの記憶を抱えながら、風に揺れる竹のように真っ直(す)ぐ、ときに寄り添い、ときに離れながら生きて行く彼らの物語を、一人でも多くの人に読んでもらいたい。
2018/01/28 東京新聞