芥川賞作家であり福島県三春町福聚寺住職でもある著者の新作である。東日本大震災をテーマとした短編集『光の山』で二〇一四年に芸術選奨文部科学大臣賞を受賞、以来四年、著者久々の長編小説だ。物語は若い僧侶・宗圭が京都での修行を終えて震災後の東北に向かう場面から始まる。宗圭は宮城県に暮らす両親を津波で流された。混乱の中で出逢った僧侶に導かれて出家、東北へと帰って福島の原発被災エリアにある無住の寺をまかされる。その福島に大学時代、共にある事件に関わった仲間たちが集まってくる……。
異形の小説である。なにせ学生時代に宗圭たちが巻き込まれたある事件は、道尾秀介の鮮烈な青春ミステリー『ソロモンの犬』そのままに、人間関係も引き継がれている。ある作家の小説世界を、同時代の作家である著者が繋(つな)いだわけだが、もちろん別個の作品として読めはするものの、だが、およそ十年前の道尾作品の登場人物たちと、本作の宗圭たちの日常の断絶落差にふと目が眩(くら)む。
宗圭は「あの日」を、災後の日々を福島に生きる意味を自問自答する、仲間や師たちと対話を繰り返す。思いや言葉が深刻にユーモラスに青春小説・恋愛小説めきながらも生々しいのは、著者が自ら問い、耳に口にしてきた福島のリアルが作中に共鳴しているからに違いない。登場人物も揺れ、著者も揺れる。物語の正しい「解」はここにはない。ラストはほのかな希望を垣間見せて終わりはするが、この希望も揺らいで、今日の希望は明日の絶望へと繋(つな)がりかねないのを私たちは知っている。だからこそ登場人物たちのこれからを、続く物語を読みたくなる。
異形の小説を読み終えれば、私たちの生きる現在もまた異形であり、私たちの存在そのものも既に異形なのではないかとそう思わせられて、そんな異形の風に吹かれるにふさわしい、今日は八回目の三月一一日である。
2018/03/11 読売新聞