書籍情報
内容
南直哉氏との対談集。
世俗化が著しい日本仏教にあって出家僧侶として生きる二人の、予定調和を排したストレート勝負の対談録。本質として矛盾を抱え持つ存在である私たち人間の「生きる意味」「他者認識」「慈悲」等々を根底から問い直す、読み応え充分の一冊。
著者から
恐山でこの対談が行なわれたのは8月末だったのですが、その晩、空には大きく真っ赤な満月が上りました。あれは何の徴だったのか、なにか不思議なご縁を感じたのは確かです。対談中、私はどちらかというと聞き役が多かった気がするのですが、これも珍しいことでした。(玄侑宗久)
もくじ
- 「序に代えて」
- 拝啓 南直哉様………玄侑宗久
拝復 玄侑宗久様……南直哉 - 第一章〈異界〉
- 恐山菩提寺にて再会
死者の異様なリアリティ
死者というリアルな存在
〈異界〉としての恐山
自分のなかの〈異界〉
〈異界〉を消そうとした親鸞聖人
〈異界〉を異常視した〈近代〉
〈異界〉を仏教教義で解釈しない
「死者」が持つ〈他者〉性の濃密さ
絶対的〈他者〉としての死者
僧侶にとって「見える」は妄語 - 第二章 言語
- 修行者を支える「因果」論
仏教における言語―弘法大師・道元禅師・親鸞聖人
日本的言語感覚と仏教
禅―わからなさとしての〈他者〉
「閉じた言語」の問題点
欠落した〈何か〉を埋めるものとしての言語
自己相対化が欠如した仏教的言説の危険性
衝撃として現れる〈異界〉や〈他者〉
〈物語〉と言語との距離
「鳥飛んで鳥の如し」
リアルなものはつねに〈異化〉が起こる
坐禅は自己を〈初期化〉する手段
「無常」「無我」を骨抜きにする言語の強さ
関係性から把握される存在者
母に身ごもられた「私」 - 第三章 出家
- 僧侶であることを疑うということ
仏教はヒューマニズムではない
自分のすべてを賭けて語る「方便」
「方便」は普遍化できない
原理と現実の狭間に見えるリアリティ
『老師と少年』をめぐって
日本仏教における〈中心〉と〈周辺〉
「苦しいから苦しい」という人に届く言葉
門の中からは門が見えない
アメリカ僧堂修行体験
日本的「和」を相対化する
「一生不離叢林」は可能か?
「坊さんならば豆腐を食え」 - 第四章 慈悲
- 宮澤賢治の「第十八願」
慈悲とは「相手が感じるもの」
人間ができる慈悲行は〈許す〉こと
『法華経』を生きようとした賢治の苦悩
『法華経』の絶対普遍性
『法華経』が犠牲を払ってまで説いていること
「願生」は決断のこと
『法華経』が踏み出した一歩
『般若心経』は菩薩行を説く経典
答えがある「問題」と、答えのない「問題」 - 第五章〈近代〉
- 村落共同体を融解させた〈近代〉
『サザエさん』―不可逆的家族像
檀家制度の枠を越えて
科学と宗教―「もうじき宗教は要らなくなるよ」
「酒鬼薔薇」事件に投影される自己
〈問題〉を共有する人との関わり方
「相手を死なせない」
自殺願望から救ってくれた仏教 - 第六章 師
- 「この行持あらん身心、みづからも愛すべし」
師―生き延びさせてくれた人
同伴、伴走を経て独り立ちさせる
弟子を育てる「靴下の先の余裕」
師弟関係の型がつくる信頼
自分の〈問い〉を問い続けて
僧侶としての自己を客観視する
「壁」としての師
お寺の生まれか、出家かは問題ではない - 第七章 正法
- 「正法」は「正しい教え」か?
「正法」とは、自問自答するもの
「正しさ」を解体する〈笑い〉
宿命としての日本仏教
〈あわい〉に投げ出されて始まる「問い」
若き仏教者たちへ
良寛さんの魅力と危うさ
紙書籍
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