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同時代禅僧対談 <問い>の問答

書籍情報



著者
南直哉・玄侑宗久 
出版社
佼成出版社
出版社URL
発売日
2008年1月21日
価格
1800円+税※価格は刊行時のものです。
ISBN
9784333023141
ページ
319 ページ
内容

南直哉氏との対談集。
世俗化が著しい日本仏教にあって出家僧侶として生きる二人の、予定調和を排したストレート勝負の対談録。本質として矛盾を抱え持つ存在である私たち人間の「生きる意味」「他者認識」「慈悲」等々を根底から問い直す、読み応え充分の一冊。

著者から
恐山でこの対談が行なわれたのは8月末だったのですが、その晩、空には大きく真っ赤な満月が上りました。あれは何の徴だったのか、なにか不思議なご縁を感じたのは確かです。対談中、私はどちらかというと聞き役が多かった気がするのですが、これも珍しいことでした。(玄侑宗久)
もくじ
「序に代えて」
拝啓 南直哉様………玄侑宗久
拝復 玄侑宗久様……南直哉
第一章〈異界〉
恐山菩提寺にて再会
死者の異様なリアリティ
死者というリアルな存在
〈異界〉としての恐山
自分のなかの〈異界〉
〈異界〉を消そうとした親鸞聖人
〈異界〉を異常視した〈近代〉
〈異界〉を仏教教義で解釈しない
「死者」が持つ〈他者〉性の濃密さ
絶対的〈他者〉としての死者
僧侶にとって「見える」は妄語
第二章 言語
修行者を支える「因果」論
仏教における言語―弘法大師・道元禅師・親鸞聖人
日本的言語感覚と仏教
禅―わからなさとしての〈他者〉
「閉じた言語」の問題点
欠落した〈何か〉を埋めるものとしての言語
自己相対化が欠如した仏教的言説の危険性
衝撃として現れる〈異界〉や〈他者〉
〈物語〉と言語との距離
「鳥飛んで鳥の如し」
リアルなものはつねに〈異化〉が起こる
坐禅は自己を〈初期化〉する手段
「無常」「無我」を骨抜きにする言語の強さ
関係性から把握される存在者
母に身ごもられた「私」
第三章 出家
僧侶であることを疑うということ
仏教はヒューマニズムではない
自分のすべてを賭けて語る「方便」
「方便」は普遍化できない
原理と現実の狭間に見えるリアリティ
『老師と少年』をめぐって
日本仏教における〈中心〉と〈周辺〉
「苦しいから苦しい」という人に届く言葉
門の中からは門が見えない
アメリカ僧堂修行体験
日本的「和」を相対化する
「一生不離叢林」は可能か?
「坊さんならば豆腐を食え」
第四章 慈悲
宮澤賢治の「第十八願」
慈悲とは「相手が感じるもの」
人間ができる慈悲行は〈許す〉こと
『法華経』を生きようとした賢治の苦悩
『法華経』の絶対普遍性
『法華経』が犠牲を払ってまで説いていること
「願生」は決断のこと
『法華経』が踏み出した一歩
『般若心経』は菩薩行を説く経典
答えがある「問題」と、答えのない「問題」
第五章〈近代〉
村落共同体を融解させた〈近代〉
『サザエさん』―不可逆的家族像
檀家制度の枠を越えて
科学と宗教―「もうじき宗教は要らなくなるよ」
「酒鬼薔薇」事件に投影される自己
〈問題〉を共有する人との関わり方
「相手を死なせない」
自殺願望から救ってくれた仏教
第六章 師
「この行持あらん身心、みづからも愛すべし」
師―生き延びさせてくれた人
同伴、伴走を経て独り立ちさせる
弟子を育てる「靴下の先の余裕」
師弟関係の型がつくる信頼
自分の〈問い〉を問い続けて
僧侶としての自己を客観視する
「壁」としての師
お寺の生まれか、出家かは問題ではない
第七章 正法
「正法」は「正しい教え」か?
「正法」とは、自問自答するもの
「正しさ」を解体する〈笑い〉
宿命としての日本仏教
〈あわい〉に投げ出されて始まる「問い」
若き仏教者たちへ
良寛さんの魅力と危うさ

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