後生と一蓮托生

 最近はあまり耳にしなくなったが、「後生(ごしょう)だからお金貸しておくれよ」なんて、昔はよく聞いたものだった。今でも時代劇だと「後生だから命ばかりは」などと頼む。
 この「後生」は、むろん本来は後の生、つまり来世のことである。沖縄では今でも「グショー(後生)」がその意味で使われる。
 となると、「後生だから」助けてほしいというのは、どういう意味なのだろう。
「後生心」「後生願い」「後生楽」などという言葉もあるが、どうも我々日本人の先祖たちは、後生を決して悪くないものと思っていたようだ。
 つまり、今は苦しくて助けを求めているが、後生では余裕もできて安楽に暮らしているだろうから、その時にこの借りは必ず返す。そう言って頼んでいるように思えるのである。
 律義といえば律義な話だが、これはつまり、この世での決算をあの世まで持ち越して考えていたということだ。つまり、『往生要集(おうじょうようしゅう)』や『地蔵十王経(じぞうじゅうおうきょう)』などが強調した地獄はそれほど定着しておらず、日本人古来の楽観的な考え方がまさったということだろう。
 一方の極楽は、来世を願う人々に急速に広まった。極楽に蓮(はす)池があることも、もはや常識。だからこそ後生では、ゆったり暮らしながら借りを返せるとも思っている。
 そればかりか、この世で叶(かな)わなかった思いまで極楽につなげて考えだす。この世では添い遂げられなかったら、あの世では同じ蓮(はちす)の上に生まれよう、というのが「一蓮托生(いちれんたくしょう)」。これはまた、夫婦の理想的な到達点として「偕老同穴(かいろうどうけつ)」の延長とも考えられた。夫婦でない場合は、心中という文化を支える言葉にもなるのである。
 ところがこの言葉、どう誤解されたのか最近は使われ方がおかしい。「おれも盗んだけど、おまえだってそれを見て見ぬふりしてたんだ。同罪なんだから一蓮托生だよ」なんて使うのだ。いったい、泥棒してでも極楽へ行けると思っているのだろうか。
 楽観もここまでくるとあきれるが、もしかしたら、イモヅルとレンコンを誰かが間違えたせいだろうか。たしかに蓮も、イモヅル式に引き上げることができる。

2005/01/22 全国地方紙に掲載掲載

書籍情報



題名
さすらいの仏教語
出版社
中央公論新社
発売日
2014/1/24
価格
760円(税別)
ISBN
9784121022523
Cコード
ページ
193
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