「強靱な受動」という慈悲
「9.11」のテロ事件で時代が変わった-と人は言う。
新秩序が生まれる。戦争の形態が変わる。混沌が生まれつつある……。
しかしマスコミは騒ぐだけで、その本質を突いていないようにも思える。
日本人にとって、いまひとつピンと来ないのは、日本人が「宗教」というものを普段まったく意識せずに生きているからではないだろうか?
僧侶にして芥川賞作家。さまざまな宗教を研究し、現在も宗教とともに生きている玄侑氏に自身の経験から会得された宗教そのものと、日本という国の状況、および未来を尋ねた。
仏教と小説の二兎を追う
現在私は、福島県三春町にある福聚寺で副住職をしております。父が住職で、臨済宗のお寺ですから世襲が基本ではないのですが、小さいころから父は私が跡を継ぐものと期待していたようです。若いときにはその反発もあってか、いろいろな宗教、天理教、モルモン教からイスラムまで、さまざまな宗教を勉強しました。統一教会の集会にも出たことがあるんですよ。
「無指向性の欲求は不幸である」とアンドレ・ブルトンが言っていますけれど、おそらく一つの宗教をどっぷりと信じられたなら、もっと簡便な幸福があったと思います。ある意味で、一つの宗教を信じることとは対極の道を行きました。しかし、それを受け容れられる基盤をもっていたからとも言えます。基本にあったのはやはり禅でしたから。
工業製品には基盤というものがありますね。禅は私にとって「心の基盤」であって、その上にどんな宗教が載っても、基盤である禅は変わりませんでした。禅は基盤として最適なものだったと思います。
大学に入って小説を書き始めましたが、テーマはやはり宗教でした。小説家を志望したのは、寺から逃げたいという気持ちも少しはありました。『中陰の花』の主人公の僧侶が、体中から毛が生えてくる悪夢を見て、友人から「剃髪したトラウマ」と指摘されましたけれど、あれは私自身の実話なんです。どこか、無意識に寺に対する拒否があったのかもしれません。大学を出てからはプロフィ-ルにもあるように、「さまざまな職業を遍歴」しました。英会話教材のセールスをしていたこともありますし、ストリップまがいのショーの照明係をしたこともありました。
しかし二十代では小説家になることができず、寺を継ぐ決心をしました。といっても諦めたのではなく、「一生かかっても、禅と小説という”二兎”を追ってみよう」と決心し、京都にある天龍寺の修行道場で禅の修業を始めました。それはきつい修行でした。日夜、警策で叩かれるのですが、でも、私は悪いことをいっぱいしていたから、叩かれることを合理化する材料がいっぱいあったんです(笑)。それで耐えられた。自分のなかで叩かれることを合理化しないといられないんです。修行を始めた人のうち、半分は逃げちゃうのが普通でしたからね。
修行を終えていまの寺に戻りましたが、別に悟ったわけではありません。悟りというのは「純粋環境の中である程度そういう心理状態はありうるけれど、現実世界の中でありうるものではない」と師匠の平田精耕老師がおっしゃられていましたので、悟りという化け物を目指さなくて済んだのです。
悟りも、ある種の、思考のアイデンティファイをするための概念だと思います。人によっては十年以上も修行をします。もちろん素晴らしい方が大勢いらっしゃいますが、修行して得たものを神の位置に引き上げると、われわれ凡人にはわからない境地にしてしまうことになる。そういう意味で、悟りというのも、実はどこかに潜んでいるアイデンティティ信仰が生んだものではないでしょうか。
もっとも、私みたいに三年そこそこしか修行してない者が言えることではないかもしれません。奥が深いことは確かです。私どもにとって、飽きることのないものを提供してくれる仏教世界は魅力的であり続けています。けれど、なんとなくそう感じることがあります。
昭和六十二年(一九八七)、三年間の修行を終えて福聚寺へ戻りました。ちょうど私が戻る前の夏の休暇中に「八・五水害」という大水害があって、阿武隈川が氾濫し、隣にある郡山市で多くの民家が床上浸水などの被害に遭ったのです。そこで町内を回って救援物資などを集めたとき、いろいろな人と知り合いになりました。「なにかやるなら協力するよ」と言ってくれる方がおりましたので、それならばと戻ってからすぐに会をつくりました。その会を救援だけで終わらせず、地域のために役立てようと、いろいろなイベントを始めました。
もともとお寺の役割は、単に葬式だけをしていればいいものではありません。私のやっていることを「斬新」と言う人もいますけど、私がやっているのは斬新ではなく、いうなれば「復古」です。新しいことを始めようというのではありません。
平安時代、お寺は病院でもあったわけです。お寺から取り除かれていった機能を取り返したいという欲求がありました。明治以降の近代社会では、役場ができてお寺に出生届を出すことがなくなり、学校制度ができて寺子屋が近代的ではないと廃止され、文化会館や公民館ができて、お寺が地域のコミュニティに参加できなくなってきました。「おまえらおとなしく葬式だけしてろ」というわけで、第二次大戦後に学校教育から宗教が消えてしまうと、僧侶自身も怯えてしまって、だれも僧侶に大事な意見を聞くことをしなくなってしまった。
作家と僧侶、二兎を追おうと思って出家したんですが、気づいてみたらお寺の仕事が面白くて手いっぱいになりました。お寺が面白いからこそ。十七年間も小説を書かなかったのだと思います。けれど、ある程度ゆとりができ、だんだんと書かずにはいられない気持ちになっていきました。
というのは、檀家の方が亡くなると、住職や私が戒名をつくります。戒名とは、人間一人の人生を、たったあれだけの文字で表現しなくてはならないものです。ですから、戒名をつけるのは、常に忸怩(じくじ)たるものが残る行為であって、どんなに考えて戒名を決めても、それで済まないものが残るのです。ですから、遅ればせながら、人間の物語をきちんと書いてみたい、というのが溜まっていたようです。
私が芥川賞を取ることにより、こうして私の意見をいろいろなマスコミで取り上げてくださるようになりました。これはとてもありがたいことです。もちろん私は仏教界の代表ではありませんけれど。
小説には私の意見というか、主張が反映されていますが、もちろん小説の中で説教をしているつもりはありません。基本的に面白くなければ小説としての価値はありませんからね。ただ、私の主張したいことをだれかに言わせたり、対立構造にもっていったりはしています。
アイデンティティ病を患った日本国
私の主張というか、基本概念に大きな影響を与えているのは老荘思想であると思います。
禅は江戸時代という儒教時代を生き延びていくために、かなり儒教の影響を受けています。そして禅が発祥した中国では、禅は道教の影響を受けて成立していて、老荘思想の上に乗ったともいえます。達磨大師が修行した嵩山(すうざん)は、もともと道教の聖地で、臨済宗は道教をベースにして生まれ、道教の用語を多く使っています。
儒・仏・道、三教のミックスは、聖徳太子や弘法大師がすでに認識していますが、禅には儒教的な部分と道教的な部分があり、私は「坐禅の気持ちよさ」といった道教的なものに惹かれ、道教寄りに解釈しています。
岡倉天心が「老荘、禅そしてお茶の道に東洋的個人主義は生き残っている」と『茶の本』に書いていますが、私の考える「東洋的個人主義」も、儒教的なものではなく道教的なものです。自立や個性というと、欧米的なものと思いがちですが、他者の家風を最大限に認めるのが本来の個人主義なんです。
他者を排するために、自分をつくり上げるのではなく、「それを入れたら病気になってしまうもの」以外は入れてしまうのです。生き物としての免疫機能を超えて行われるのが妊娠で、免疫機能が一時解除されたすきに異物である精子が卵子に着床するわけです。これは慈悲の一つのモデルでしょうけれど、免疫機能が稼動してどうしても受け入れられないもの以外は受け入れていいんじゃないでしょうか。
「汚い」という言葉があります。だれでもよく使う言葉ですが、なにが「汚い」のかをもっと突き詰めて考えてほしいのです。抗菌という思考には、自己以外の他者を撲滅しようという考えがあります。生物が多くいる状況を「汚い」と表現することが、いまの社会を象徴しているように思えてなりません。日本で売っているミネラルウォーターがすべて滅菌されていると日本の大臣が自慢げに言って、フランスのものは滅菌していないと非難したそうですが、フランスの担当者は「私は他の生物がそこに生きているのをいいことだと思う」と答えたそうです。
滅菌されたものばかり口からも肌からも目からも受け取っていると免疫機能が衰えてくることがあるそうです。こういった意識がすべてにかかわってきていると思いますね。いま日本では「他者を排する」という意味で、「自立」という考えが大きくなってきている。私はそれを「アイデンティティ病」と考えます。
特に、今年の九月にアメリカへのテロ事件が起きてから、このアイデンティティ病は激しくなっています。米英によるアフガニスタン空爆が始まり、日本はそれに対して支援する法律をつくりました。湾岸戦争のときの右往左往振りに比べ、今回は異例の速さで新法を成立させました。日本のアメリカ支援は、日本が自立した国家になるために、当然のことという論調が目立っています。しかし、これでいいのでしょうか。
第一に、平和時と戦時では、心構えが違うものです。平安の昔、平和なときは左大臣のほうが上でも、非常時になると右大臣が優越したように、軍事に関しては専門職が必要だったのです。しかし、いまの総理大臣は、どちらのときにも責任者です。その中で、平和なときにアイデンティティの確立、国家の自立を考えるのはまだわかるのですが、戦争状況という非常時に、同じ思考法でいるのは間違いだと思います。なぜなら非常時には、どうしても強靭なアイデンティファイのされ方が行われる傾向が強いからです。
人間ですから、あのテロのように大きな事件が起これば、驚き、おろおろするのは当たり前のことです。大勢の国民を預かっている責任者ならば、もっとおろおろすべきです。即断即決をかっこいいものと思い、九二年の湾岸戦争に右往左往すべき事柄が起こっているのに右往左往しない。けれど、どんなときでも即断即決するのは、非常に危険なことです。
平和時にも戦時にも、終始一貫して自立を促す教育をしているのであれば、まだわかります。例えば赤ん坊がゆりかごで泣いていたら、日本のお母さんたちは駆け寄って抱き上げます。私の知り合いがドイツに嫁いだのですが、同じようなとき、彼女が赤ん坊を抱き上げようとしたら、お姑さんから「待ちなさい。ここで我慢しないとあの子は自立できない」と止められたそうです。欧米では個人の自立がここから始まっているのです。ところが日本では抱き上げてあやす。「泣けば来てくれる」という関係にしてしまい、自立の芽をつみ取っている。それでいて個人の自立を促す論調が学校などではますます盛んです。
平和なときには自立することが緊急の課題だったとしても、非常時では違う選択があるべきです。非常時では、国家というピラミッド型の構造は、ある方向にアイデンティティファイされやすいのです。
牛歩もいいのではないでしょうか。いや、むしろ牛歩にこそ智慧があったと思います。日本では「自立した国家は、結論を出すのが早い」という幻想をもっているような気がします。ある意味では、武士道と関連するのかもしれません。
今回の法案成立により、自衛隊は、ミサイルが飛んでくるかもしれない所まで行くことになりました。それで攻撃されたとすると、戦っても構わないという方向に自然になるでしょうね。つまり、テロの対象になっても構わないという選択をしたわけです。日本の原子力発電所にテロリストが侵入し、破壊されるかもしれないという覚悟を、いま国家が突きつけているわけです。アメリカが「報復する」と宣言したときに、日本人はこの程度のイマジネーションを働かせてからゆっくり決断すべきでした。
「日本は、報復する側の援助をするけれど、難民の救済もする」というけれど、果たして両方できるのでしょうか。いまアフガニスタンの人たちは、アメリカから爆弾だけでなく食糧も投下されていますが、それを「食べない」と言っています。「敵からもらった食べ物を食べるつもりか?」と、石油をかけて燃やしているそうです。日本も同じ立場になります。難民支援をしようとしても、アメリカべったりのスタンスでいたら、それさえもできなくなる。たぶんわれわれ以上に、そういう潔癖さがイスラム教徒の中にはあると思います。
米中枢テロの後、炭疽菌事件が発生しています。日本では、イタズラだけで四百件以上あったそうですが、いつかは本物が出てくると思います。なぜなら、日本がそういう決断をしたからです。
いま日本は戦争を始めたということを意識してほしいのです。アメリカを支援するという間接的なかたちではありますが、実態として、いま日本が戦時にあることは間違いありません。もっと想像力を馳せるべきなのにできない。これがアイデンティティ病なんです。
正統、正義という虚構
国家はある種のピラミッド型の組織です。宗教も、曹洞宗や浄土真宗など、普通は国家と同じようにピラミッド型の総本山制で、総本山が指令を出すとみなが動くような組織がつくられています。けれど臨済宗には総本山がありません。詳しくいいますと、対等の本山が十四もあって、いわば台形のかたちをしているのです。それを統(す)べている組織はありません。ですから、なにかことが起こったとき、その宗派全部に共通する結論を出しにくい、つまりアイデンティティファイされない構造をもっています。それぞれのお山の家風を認めますから、それによる安らかさがある。臓器移植の問題にしても「いろいろな考えがありますから」と、宗派としての結論にはなりません。即断即決が絶対にできないシステムで、実は、私はそちらのほうが好きなんです。
しかし国家はどうしてもピラッミッド型を目指します。自立という意味でもそうですが、ピラミッド型の組織は、一つの正義を目指したがります。正義を目指すという習い性がある。それは宗教の組織から政治が学んだことかもしれません。
カソリックというキリスト教の中での「正統」が、ローマ帝国によって四世紀に決められました。日本人にはカソリックという正統がどんなものか想像しにくいと思います。日本の仏教には多くの宗派があっても、正統はありません。日本で国教が定められたのは、明治時代の神道だけです。仏教では、江戸時代に浄土宗が贔屓されたり、室町時代に時宗と臨済宗が贔屓されたりという「えこひいき」はありましたけれど、「これが正統だ」と定められたことはありません。
ところがキリスト教社会では、宗教観が日本とまったく違います。キリスト教でいう「正統」とは、他をまったく認めないものです。四世紀にコンスタンティヌス帝がローマ帝国の国教としてキリスト教を定めたころ、成立して何百年か経っていたキリスト教では、聖書の解釈を含めて真剣に考えた人が多く出ていました。日本仏教でいう日蓮さんや空海さんのように、いろいろな宗派があったのです。しかし、カソリックという「正統」をつくったことにより、それらすべて「異端」にされたのです。
いくつかの宗派のうち、一つを正統にし、他を残すといったやり方ではありません。日本に当てはめると、まるで「仏教」という曖昧な新宗教をつくったようなもので、それ以外の既成の宗派を一切認めなかったのです。
カソリックはやがてプラトンの哲学を応用し、「三位一体説」をとったりして内容が充実していきます。その過程で、国家原理と並行してピラミッド構造をつくっていく。そして宗教が「裁きのシステム」として非常に有効になっていくのです。
カソリックに初めて触れた代表的な日本人は織田信長です。彼は天下統一をしようとした最初の日本人でもある。この事実は、キリスト教が彼になんらかの影響を与えていると想像できます。もしかしたら、信長はピラミッド型の権力構造を、キリスト教から学んだのではないでしょうか。
そして信長がいちばん苦労した相手が一向一揆で、実は一向一揆というのも構造は同じものです。浄土真宗の阿弥陀様と、キリスト教でいう神を比較するのは申し訳ないけれども、「ただひたすらに」というところに似ている面があります。そして、「いざ、戦う」というときには両方とも強い。
今回ブッシュ大統領は「イスラム教徒全体を敵としているわけではない」と言っていますが、果たして、その構図がいつまで保てるのでしょうか? 実際問題として無理だと思います。
イスラムといえば俗に「右手にコーラン、左手に剣」と言われるほど、戦いを辞さない宗教です。しかし、コーランを読んでみると「アラーの神を汚す者をこらしめてやろうと思ったときどうすべきか?」という問い掛けがあり、その答えに「やむをえない場合はやられた程度にしておけ、だけど我慢できるなら我慢するのがいちばんだ」と書いてあるんです。
彼らが我慢の限界を超えたのでしょう。その背景を日本はわかっていない。パレスティナ問題に関しても、ほとんど情報として得にくいのが現状です。
アメリカを擁護する人は、「テロリズムこそが敵であり、撲滅すべきだ」と言います。しかしテロリズムというのは、だれの心にも起こる可能性のある心の状態なんです。いま盛んに行われている報復は、世界中にテロの種を蒔きつける行為ともいえます。テロリズムを根絶するということは、人類全員を根絶するのと同じことでしょう。どんなに優しく、心の清らかな人でも、心の中にテロリズムが生じる可能性があるわけですから。
問題は、自分が正義の場所にいるという意識でしょう。正義、正統というものが、どれだけのものか。小泉首相がAPECで上海に行ったとき、ブッシュ大統領に流鏑馬の矢を送り、その箱書きに「天長地久」という『老子』の第七章にある言葉を書きました。その解説として「邪悪を退治して恒久平和を実現する」とおっしゃっているのですが、「天長地久のために邪悪を退治する」だなんて、老子は絶対に書いていません。そもそも老子は、正義を疑ってかかっている人です。
『老子』の第五十八章に、
それ正無し。
正また奇と為り、
善はまた妖となる。
とあります。正義などない。正義と思っていたものもいつしか奇妙になり、善だと思っていたものが妖しいものと化す、ということです、平安時代の正義と現代とでは違うし、同じ時代だって所変われば違う。その正義を振りかざすことで戦争は起こるのです。だからこそ正義というものをとことん疑うことを老子は説いているのです。その老子の言葉をとって箱書きするだなんて……。
正義ではないけれど、グローバルスタンダードという基準が提案されています。これは、世界を一つのピラミッドにしようという考えです。しかし、イスラムのスタンダードと、米欧、アジア、アフリカのスタンダードは違います。少なくとも四つのスタンダードがないといけません。四つのスタンダードを認めると、それは「台形」になるんです。
「わかる」ことは「分ける」こと
自分自身の限度という意味で「分際」という言葉があります。私が書く小説ではその分際を超えることが大事であるというトーンを貫いています。自分の「際」だと思っているところを超えるのが、『水の舳先』であり、『中陰の花』であり、『アブラクサスの祭』でもあるのです。これは「正統を認めない」ということと同じです。
私の小説では、決してアイデンティファイされない人が必ず登場しています。『水の舳先』では、禅宗の僧侶とクリスチャンの女性が主な登場人物ですが、お互いにアイデンティファイされていません。けれど二人は相手を受け入れる。それはアイデンティファイによって可能になることではなく、慈悲、異物を受け入れて、育むことさえしてしまう母性があるからなのです。
『中陰の花』でも使っていますが、「おまえのことはわかった」「世界がわかった」という、「わかる」ことに対する病的な欲求がこれまでのわれわれにはずっとありました。けれど、人間や世界はわからないものです。「分けた」からこそ「わかる」という言い方ができるわけで、「分ける」という行為は、アフリカの国境線を見ればわかりますように、それは「分ける」側のむちゃくちゃな意思によって為されるのです。
分けたからわかった。つまり「わかる」ということは、その程度のことでしかないのです。それを理解していれば、無理にわかることはないわけで、死後の世界も要はわからないわけです。わからないままでなぜいけないのでしょうか? そこには不安があるのでしょうけれど、死後の世界といったわからないものは、いつまで経ってもわからないから、「信じる」ことが存在する余地があるのです。そして信じるという行為も、ときどき自信がなくなる程度のことがいいのではないかと思います。
イスラム教徒が「ジハード」を叫ぶとき、「死ぬのは怖くない」と言います。それは、イスラムの教えでいつか世界の終わりのときがあり、ラッパが鳴ってすべての人間が生き返り、アラーの神の前に引き出され、そこには見張りの天使が点数をつけた帳簿がある。その点数によってすべての人が、天国に迎えられるのか、地獄に落とされるのかが決まるのです。
ジハードでいい成績を取れば天国に行ける。天国に行けることが最上の価値基準だからこそ、彼らにとって死はまったく怖いものではない。それが正しいかどうかは関係ない。いわば信じる人の勝手ですから。怖いですよね。
死が怖くないところまで行く。それは「わからない」ものをわかろうとした一つのビジョンであるという発想が、日本に生まれた人にはもてます。日本において「国のために死ねるのか?」という問題は、今年の夏に起こった靖国問題でした。
国家という虚構を信じていれば「国のために死ぬ」という行為もありえます。それならば「その死者をどう祀るか?」ということは普通に考えることとしてあっていいわけです。しかし小泉首相は参拝の日にちをずらしました。つまり、賛否はともかく、いまの日本では国のために死ぬことを認めづらい、国民は国のために死んではくれないということをあのとき感じてくれたと思ったのです。けれども、その後の経過をみると、どうも感じてくれてはいなかったようですね。
すべてを受け入れる強靱な受動
仏教では、人間の内部に六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天道)を認め、それに有頂天、金輪際というものを人間のキャラクターの幅として認めています。個人の中にそれだけの幅がある。
アイデンティティ指向の考え方では、ある人が餓鬼道に堕ちたなら、それはもう元々のその人ではありません。つまり精神がおかしくなった状態では、その人ではない。ないから裁けない。現在の精神医学は西洋から入ったものですから、自立した立派な状態だけがその人であり、それからはずれた状態は、その人ではないという考え方になります。
しかし仏教では、人間の心は六道を輪廻するものと考えます。どんな立派な人でもテロを行う可能性があり、精神がおかしくなるときもある。それでもその人はその人であることに変わりはない。つまり人にアイデンティティファイされるのは、ようやく棺桶の蓋がはまったときと考えているのです。
いままでの人生を振り返って「こういう人だった、だから今後もこうしなければならない」とは私は考えません。しかしアイデンティティという考え方ではそうなります。「私はこういう人間だ。だからこういう行動しよう」と思考すると思います。
歴史とは、自分の物語を、非常に恣意的に、都合のいい材料だけを拾っているに過ぎません。そんなふうに取捨選択せずに、偶然を積極的に受け容れたいものですね。いろいろな出逢いがあってこそ、人間には幅がでてくるんです。幅と深みは対立するものではなく、幅が深みをつくっていく。大井川より揚子江のほうが深いのは当然なんです。幅を積極的に認めていこうとすると深くもなっていく。それはアイデンティティの考え方ではありません。アイデンティティ病に罹ってしまうと幅がなくなると思うのです。
アイデンティティ路線で自立した国家同士は、必ず争いを始めます。異物を受け容れる発想があれば「自立を急ぐ」ことにはならず、争いは起きません。
現在、「自立」といった能動が賞讚され過ぎていて、積極的であることで犯してしまう罪に対し、あまりにも無頓着になっています。私が主張したいのは「徹底的に強靭な受動」です。「すべてを受け入れる」という強靭な受動は、すなわち慈悲にも通じるものなのです。
近代意識から生まれた国家では、アイデンティティは当然のこととされていますから、おそらく「強靭な受動」を邁進したとき、その国は「どうしようもない国家」と呼ばれるでしょう。アイデンティティをなくし、右往左往してもよいという覚悟をするには、相当のものが必要です。でも、非難されたっていいではないですか。それほどの徹底的な強靭さがあればいいのです。現実的には難しいのでしょうけれど。
「近代は終わった」と言う人がいます。終わってほしいですね。国民が一丸となって向かう目標があった時代が近代だったと思います。それは富国強兵であり殖産興業であった。経済がどんどん伸びることが「豊かさ」であると思っている政治家がいるのは、終わってほしい近代がまだ終わっていないことを意味します。今回の戦争に対する態度も近代的、つまりは非現代的な選択でした。もしかしたら、国民すべてがアイデンティティ病に罹っているのかもしれません。
2001/12/01 月刊MOKU掲載