三春町の古刹、福聚寺に生まれた玄侑宗久は小学生のころ、「死とは何だろう」と思い悩んでいた。環境ゆえの早熟だったのか。思い返せばそれは、「生きることの根源的不安といってもいい」誰に聞いても、子どもに理解できる言葉で返答をもらった記憶がない。
その問いを心の奥底に抱えながら青春期を送った。新興宗教に興味を持ったり、土木作業員、英語教材のセールス、ナイトクラブのフロアマネジャー、ごみ焼却所の作業員など十二の職業を経た。「何でも体験したかった。学生アルバイトではなく、みな本職のつもりだった」彷徨は、父との約束だった二十七歳で区切りをつけ、仏門に戻った。ペンをとったのは、問いの答えを自分なりに出そうとしたからかもしれない。副住職の傍ら、芥川賞作家としての執筆と講演依頼が立て込む今、「自分の答えを、うまく小学生に伝えられるか疑問ですね」と苦笑する。
宗教と社会を語るその言葉には、遍歴をたどった者こそが持つ説得力がある。「求め出したらきりがない幸福ではなく、一人ひとりが現在を受け入れ、『楽』になってほしいですね」という柔らかさもある。
2003/5/17 読売新聞掲載