病と共存し、湯治客同士のコミュニケーションで治す いかりや長介も過ごした「闘う温泉」

闘う温泉

 私の『水の舳先』という作品は近くの湯治場がモデルになっています。坊さんという仕事柄、死に日常的に直面します。
 私は病を治すということは、病と闘うことだとは思っていないんです。中国には「多病長生」という言葉があります。これは病を抱え込んだまま長生きするということです。異物との出会いによって、清濁併せのむ、つまり病と共存するということだと考えています。
 闘わないことによって、がん細胞がやる気をなくして小さくなってゆく、こうして体の中の病を飼い慣らすことが病が治ることだと考えています。全くなくならなくてもいい、自分の体にとってはトラブルではないという状況を作ることが大事です。
 私は瞑想を毎日していますが、瞑想こそ細胞とコミュニケーションをとる唯一の手段だと思っています。自分の体とコミュニケ-ションを取ることによって、病と共存できると考えます。そのコミュニケーションの断絶が病のあらわれとなります。
 なぜ湯治場で病気を克服した、という人が多いのか。湯治場でのコミュニケーションが快復の方向に向かわせている要因のひとつだと思います。
 睡眠欲、食欲、性欲という三大欲がありますが、私は、性欲よりコミュニケーションを欲するものだと思うんです。同じ病を抱えた人々が集い、話すことによって傷が癒されるという理想的なコミュニケーションがそこにはあるのでしょう。
 湯治場には、普段の生活では決して出会うことのなかった、思ってもみない出会いがあり、コミュニケーションが生まれます。またそこには病院と日常との中間形体でもある。健康のためには、病院のように完全に日常と切り離すのではなく、少しは残しておくべきだと思うのです。 

2004/4/19 AERA(朝日新聞社)掲載

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