右肩上がりの呪縛した「楽」の状態
お釈迦様が目指していたのは苦しみからの解脱でした。そして、その先にあるのは「楽」です。最近では「幸せ」という言葉が流行っていますが、「苦」の反対は「幸せ」ではなく「楽」なんですよと改めて言いたくて『禅的生活』という本を出しました。私自身が非常に楽だと感じながら過ごせるのは禅的な考え方のおかげではないかと思っていますから、禅の考え方のアウトラインを理解していただいて、一人でも多くの人に楽で元気になってほしいと願って書きました。
「楽」という字は、「木」の上に「白」で「太鼓」、それを両側から叩いている姿を表したものです。「楽しい」あるいは「楽しく遊ぶ状態」の意味です。英語の「happy」を「幸せ」と訳しますが、英語圏の人たちが気軽に「Are you happy?」と尋ねるときの「happy」の語感は、「幸せ」よりも、むしろ「楽しい」に近いものではないでしょうか。「幸せ」の定義は難しいけれど、「海の幸」「山の幸」というように海や山で獲れるモノが「幸」で、それがたくさんあることが「幸多き」ですから、多ければ多いほどいいというある種の欲望が「幸」だといってもいいでしょう。
この欲というものにはキリがありません。中国では幸福のイメージを「福禄寿」と考えます。「禄(お金)」も多いほうがいい。「寿(長生き)」も長いほうがいい、「福」とはなにかというと子孫繁栄です。子どもや孫も多いほうがいい、ということです。多い、長い、という数値化できるものには際限がなく、「ほどほど」とか「ここが最高だ」という一定のところに留めておくことができません。
しかし、「楽」はキリがあるものです。ちょうどいいところがあり、そこに達したならば、その状態をキープすればいいわけで、「右肩上がり」の呪縛がありません。
「右肩上がり」という価値観は欧米から入ってきたものでしょう。大航海時代、外の世界はなにがあるかわからないけれども、とにかく前へ進むことで新大陸を発見してきました。そのときから「Progress(前へ進む)」に「進歩」という意味が加わりました。進歩や右肩上がりこそがよいことだとする考え方は、近代的合理主義の特徴なのだと思いますが、そうしたことから産業革命が起こり、「殖産興業」「富国強兵」が近代化の二本柱になっていきました。以来、永遠の発展を目指してきたのです。
革命という手法での国家・社会の変革にもまたキリがありません。もし、革命のときに掲げている理想が素晴らしいものであれば、革命後にはそのテーゼを保守するだけでいいはずです。ところが、多くは革命を続行します。毛沢東もそうでした。それはなぜか。保守への恐れがあるからです。ペダルを漕ぐことをやめれば自転車が倒れるように、革命も持続しなければいけないという呪縛を脱することができないのです。
禅には、「進歩」ではなく「回帰」という発想が強くあります。進歩によって「楽」があるのではなく、それは回帰によってもたらされるのだと考えます。回帰を象徴する老荘思想も、いまやお家元の中国では顧みられません。「経済発展」を第一に走っているからです。
戦後の経済成長期の開発ブームから取り残されてきたエリアが日本にもまたかろうじて残っていますが、それがいまでは「開発されなくてよかった」とさえ感じるのは、右肩上がりを脱した楽な状態に安心感を抱かせてくれるからだろうと思います。
「陰陽」のバランスが取れている
読者にどんな使われ方をするのか見当もつかないままに出した『禅的生活』でしたが、意外にも若いサラリーマンが多く読んでくださっているようで、中には会社に一冊、自宅にも一冊置いて常に目に触れられるようにしているという方もいらっしゃいます。大手企業から講演の依頼があったり、トップの研修会で話をしてほしいといわれたりもします。おそらく企業の人たちも悩んでいらっしゃるんですね。やはり、いまだに右肩上がりの呪縛から離れることのできない企業という存在の宿命と、自分の人生観がすりあわないという現実があるのでしょう。
私生活はないがしろにしてでも仕事に没頭すればよい時代がかつてありました。ところが、個人の生活も大事なんだと言われ始め、同時に仕事もいままでと同じようにやっていかなければならなくなったときに、仕事と私生活の両方をどうやって成り立たせていけばよいのかわからなくなってきているのではないでしょうか。
私は、仕事も私生活も両方とも「生活」だと考えます。ただ、仕事での役と私生活での役が違うだけだと思うのです。私も「お坊さんと物書きと、どうやって両立しているんですか?」と尋ねられたりしますが、両方でバランスが取れることもあるのです。
本の中にも脳の話を書きましたが、ロジカルに考える作業は主に左脳がつかさどっています。それは、ものごとをどんどん枝葉のように細分化していくことで、「陰陽」では「陽」にあたることです。しかし、私たちにはもう片方の「陰」の世界も必要で、この「陰陽」のバランスが取れて初めて健康が保たれるのです。それは枝葉ではなく根っこを目指していくことでもあります。身体的には動かないこと、脳の働きでいえば感じ取る、味わうといった全体的に捉える感覚で、これは右脳が行っていることです。これらの「陰」と「陽」の両方の時間をもたなければ人間はバランスが崩れてしまいます。
ところが、いま多くの人の暮らしは「陽」だらけのように見受けられます。身体的に動き回り、じっとしていても頭の中はロジカルな思考がかけめぐっています。禅とは「ディアーナ」、思考していない「三昧」という状態を表す言葉です。思考ではなく全体を感じ取る、味わう、そういう右脳優位の禅的生活の時間が現代人にはもっと必要なのではないでしょうか。
私たち僧侶は普段から瞑想的、つまり「陰」の頭の使い方をしています。例えばお経を上げているときが、その状態です。お経を上げているときはなにも考えていません。考えていると間違ってしまいます。さらに私の場合は、ものを書くことも生活の中にあるわけですが、この書くという行為は、一見ロジカルな思考のように思われがちでありながら、決してそれだけではないのです。確かにエッセイなどを書くときはロジカルに考えますが、小説の場合に「陰」の使い方も必要なのです。夢を見ているように勝手にイメージが成長していくとでもいえばいいのでしょうか。もちろん構成は左脳でやるわけですから、小説を書いている時間は、右脳と左脳のバランスが取れているように思います。何百枚も書くことはしんどいことですけれど、書き上がったときには体もちゃんとご褒美をいただいているわけです。
多面体である自分の一つの役を演じる意識
先ほど、「仕事と私生活での役が違う」と言いましたが、その前提として、「自分」というものが多面体であることを知っておいたほうがいいと思います。
多面体であり自然の分身でもある「自分」なのですから、時には嵐の日もあるだろうし、冷害も起こります。それが自然というコントロール不可能なものなのです。ところが、それを完全にコントロールするのだと思ったときに、生きていくのが苦しくなってくるわけです。自然なのですから、私がいつ怒り出すか予測不可能なのは当然で(笑)。そういう不可能なことを人間はコントロールしようと思いすぎています。小さいころから「これが原因でこうなったのだから、それがいやだったらこうしなさい」と教わっていますから、多くのことが自分でコントロールできる、思い通りになるはずだと考えるようになっていくのも当然かもしれません。しかし、それはできないことだと捉えておくことが原則だと思うのです。
ただ、いくらコントロール不可能な生き物だといっても、そのままでは社会的な顔が成り立ちません。「朝はあんなに機嫌がよかったのに昼には怒ってるし、夕方はまた違ってきたぞ。明日はどうなるんだ」というのでは会社での部長としての立場もなくなります。
ですから、部長も一つの役なのだ、仮面なのだということを自覚した上で、自分の表向きの人格を演じていく意識が必要ではないかと思うのです。言い換えれば、「これが私なのだ」と思い込まないということです。私の一部ではあるけれど、すべてではない。それくらいに考えていたほうが楽に生きることができると思います。一部分の切り取った自分は、その時点で全体ではなくなっているわけです。川から掬い取った水であり、淀んだ水にすぎません。多面体である自分のほんの一部を知りえたからといって、それが自分そのものであるということにはなりません。そして、そんな自分に対する評価などは、他人に任せておけば勝手にやってくれますから、気にしなければいいのです。
しかも、役を演じる場合でも、あまりきつく考えないほうがいい。例えば、「あの人は絶対に遅刻しない」といわれたりする人もいますが、絶対に遅刻しない人は信用できません。絶対に遅刻しないのは、たとえ事故を起こしても時間を優先させてやってくる、困っているお年寄りがいても助けずにやってくる、ということです。
生きている間には予測できないご縁がたくさんあります。というよりも、世の中の半分以上のご縁は予測できなかったことではないでしょうか。「絶対に」を守る人は、そんなご縁を全部踏みにじる人間です。「めったに遅刻しない」というくらいのゆとりが大切なのです。予定通りコントロールされた部分だけを演じている人間は面白くありません。「私はこういうものだ」と一応そうなっているけれど、それ以外の「私」がいつどういうご縁で出てくるかわからないと思っておくほうが楽しくなるような気がします。
私が講演を受けたり取材を受けたりするのは先着順です。時間が許すかどうかだけで、講演料や雑誌名で受けたり受けなかったりということはしません。それは、人間が多面体であると思うからです。どんな講演や雑誌に触発されて新しい自分が出てくるかわからない。その予期しなかったご縁が楽しいわけです。
「山学校」という言葉が私の子どものころにはありましたが、山を歩いて幼稚園に通っていると楽しいことがたくさんあって幼稚園に着くのが昼前くらいになってしまう。そうすると「この子は、また山学校やってきて」といわれたものです。ご縁を大事にしすぎるとそうなってしまいます(笑)。度が過ぎると信用をなくしてしまうけれど、たまにはそういうこともあっていいと思います。
瞬間瞬間を楽しむ「遊戯三昧」という考え方
計画を立てて、その計画通りに進んでいかなければいけないという呪縛に囚われている企業も、むしろ、突然に訪れたご縁というものを取り入れていくほうが業績は上がるかもしれません。最初に決めた予定通りに進もうとするのは苦しいことです。
企業が予測できないご縁にフレキシブルに対応できるかどうかは、小さな商店を考えるとわかりやすいと思います。例えば、突然やってきたお客にどんな対応ができるかということが、実はこの問題のポイントそのものなんです。ところが、これが大きな会社になっていくとなぜか対応の質が変わっていきます。しかし、それは禅でいうところの「遊戯三昧」、つまり「いま」に最大限没入して楽しみつくしている状態ではなく、将来の目標のために現在を無駄にする生き方にもつながります。「因果一如」ともいいますが、「因」も「果」も「いまこの瞬間」にあるという考え方が大切です。
「途中」という言葉があります。一般的には、この「途中」という表現をした時点で、それまでの経過は無意味だと考えるわけですね。目的地に着かなければ意味を成さない、と。豆腐を買いにいった。戻ってきたときには豆腐が崩れていた。これでは豆腐を買いにいった意味がない。いくら「いやあ、きれいな景色を見てきましたよ」といっても目的は達成されていない。そう考えます。いま日本人がやっているのは、まさにこの姿です。
禅では、「途中にありて途中にあらず」といいます。その瞬間瞬間が楽しくなければ本当ではないというのです。豆腐を買うとか、きちんと持って帰るとかには関係なく、「遊戯三昧」という生き方を教えています。
「受験に合格しなければ、君の三年間はなんだったんだ」というけれど、その人のトータルな三年間は、決して受験のためだけにあるのではありません。学校も、そう言い始めています。ところが、やっぱり最後には落とし穴のように受験が待っている。それならば、個人のフレキシブリティが認められても業績を上げていかなければならない企業と同じように、学校も、個性を重視する教育と言いながらも受験を用意しているわけですから、もっと正直になったほうがいいと思います。平等な基準での選択を考えた場合に、中国で始まった「科挙」以来、受験というシステムよりも優れたものがいまのところ見いだせていないわけですし、お釈迦様のように人柄で計ることも私たちにはできない以上、子どもたちにも、受験という部分での役を演じた上でほかのことも大事にすることを教えていくしかないでしょう。そうして初めて瞬間瞬間を楽しむことの意味も理解できるようになると思います。
「揺らぎ」を認めることで全体性を生き始める
日本という国家も、私の住む三春町もあれば東京もあるし沖縄もあるというように、一人の人間と同じように非常に多面的です。しかし、国家は「まとめようがありません」では済まされません。日本とはこういう国だ、というものを示すためにも、憲法をつくり、全国からの意見を集約するための国会をつくり……とシステムをもちながら日本という国の「顔」をつくっていかなければならないわけです。かといって、そうやってつくった国の「顔」が同じ日本国に暮らす私の「顔」と同じでしょうか。小泉さんに私たちの意見が代表できるでしょうか。しかし、しようがないんです、それを認めなければ。
日本にも代表の顔が必要なように、私も「私」を代表する顔をつくらざるをえないから仕方なくつくっているにすぎないのです。近代的自我を備えていると思っている「私」という存在も、そうせざるをえないからやっているのです。しかし、実際には国会に日本を象徴するものがあるわけでもないのと同様に、私が被っている仮面に「私」というものを象徴するものはありません。その役が「私」の全体ではないし、役を演じるというのは、その程度のことなのです。
多くの人は、たった一つだけ被った仮面を、それが自分なのだと思い込んでいます。そして、どうしてもアイデンティティを探し求めてしまいます。アイデンティティという言葉を信奉して、「私はこういう人間です」と決めなければいけないような気がしているわけです。しかも、それは子どものころから迫られている。最近では「私は、○○な人なんです」という言い方をする少年少女すらいます。
禅の道場では、それは徹底的に覆されます。この世界に入る前に長年かけてでっちあげてきたフィクションとしての「自己」をぶちこわしていくのが修行です。八日間眠らないで坐禅するなんてできるわけがないと思っていたけれど、やってみたら「ほうらできただろう」となったときに、私が考えていた「私」などまったく当てにならないのだとわかるわけです。
このとき、「自己」というフィクションが吹き飛んでしまうことは、実は人間としての全体性を生きることの始まりでもあります。
一つの役としての人格を演じていこうと思っても、割りきりができない場面も当然出てきます。部長としてならこうするけれど「私」としてはどうなのだろうか、と自分が考えている自分が思わず揺らいでしまう瞬間です。でも、そこが大事なんです。そこで部長としての判断を押し通す人間は風流じゃない。その「揺らぎ」も自分で認めましょうということです。なぜなら、その揺らいでいる自分が、全体的な自分への入り口になるからです。
ですから、統率の取れない、無数の自分がいるということをわかっておけばいいのです。そして、その無数の自分の間で揺らぐことも見せていいのです。それを他人は信頼するのですから。
「九・一一」が起こったときに即断即決できるほうがおかしいのです。どうしたらいいのだろうという揺らぎが生じてしまうのが「役」を離れた人間の姿だろうと思います。役としてテキパキと処理しなければならない状況もあるけれど、その役に徹してすべてを判断し行動してしまうのは怖いことです。出逢ったこともないような事件が起こったときにまったく揺らがないというのは異常です。それは、人間の全体性を生きていない。あくまでも方便としての役なのですから、どんなときにも人間の全体性に戻らないのでは魅力がありません。逡巡していいんです。
例えば、親なんだから指導しなきゃいけない、という部分もあるでしょうが、お父さんも本当はわからないんだよ、という顔を出してもらわないと子どもも生きづらくなります。お父さんが本当にわかっているのかといったら、そんなことはないはずです。だから、時には「わからないんだよ」と言っていいと思うんです。
子どものころから、逡巡するな、早く結論を下せ、決めたらまっしぐらに進め、と教えられますが、それは方便にすぎないのだと理解して、決めたときと心変わりしたという場合、その変わったことを大事にするべきです。過去に隷属する必要はないのです。
「私」を突き抜けて「公」という仏性に出逢う
仮面を自分だと思い込んで生きていくのが多くの人間なのでしょうけれど、それは邪魔なものにすぎません。転んだおばあさんを助けるのに部長の仮面は関係ないし、音楽を聴くときにも部長は関係ない。舞台を離れれば役も離れる。ということは、つまり公務員的ではないということです。公務員的というのは、いってみれば儒教的です。禅的に生きるとは、私生活も同じ色で染めることではありません。
私は常々、「公」というものの捉え方が違うのではないかという気がしています。本来、「公」というのは自分の心の中にあるものです。「私」の奥底にあるものが「公」であるのに、「公」と「私」を対置させてしまったのが聖徳太子の唯一の瑕瑾(かきん)です。
「十七条の憲法」に「十五に曰く、私に背き公に向かうは、これ臣の道なり。凡そ人私あれば必ず恨みあり。憾あれば必ず同ぜず。同ぜざれば即ち私を以って公を妨げ…」とあります。そこから夏目漱石の好きだった「則天去私」というような言葉も出てくるわけです。しかし、この場合の「去私」とは「私」を捨て去るという意味ではなく、「私」を掘り下げていくということだと私は思うのです。
そうでないと、集団と個人があった場合、このどちらを優先させるのだという発想になってしまいます。戦争中は個人をないがしろにして集団を第一に考えた、といいます。しかし、戦争中であるかどうかにかかわらず、百人の中で一対九十九に分かれたら一を優先させることはありえません。
問題は、集団が「公」で個人が「私」であると決めてしまっていることです。一人で存在している人間はいないし、個人であっても人の間に存在するわけですから、集団と個人が別物だということはありえません。そうではなくて、十人の人間を真上から見たときには集団という捉え方ができるし、真横から見れば個人が十人いるという捉え方をしてみれば、わかりやすいと思います。集団と個人の違いは、それを見るときの角度の違いだけなのです。多いか少ないかが集団か個人か、ではありません。人間はいつだって集団です。
「公」を別な言葉で禅的にいうならば、だれの心の中にもある「仏性」のことです。「神」「仏」と呼ばれるものが「公」です。「最大多数の最大幸福」を「公」と考えているわけではありません。つまり、だれにでもある「公」なのだから、徹底的に個人が幸福になれるものであるならば全員が幸福になれるはずだという確信をもつわけです。ですから、個人が悲しんで集団が喜ぶということはありえないのです。どちらを優先させるということではないわけです。
そうすると、個人の安楽を掘り下げていったところにしか全員の安楽はないとわかってきます。順番としては、まず個人の徹底的な幸福を見ていかなければならないということで「私」を突き抜けたところに「公」があるのですから。そして、そう考えるから私たちは「仏性」を信じているわけです。
宮沢賢治は、「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」と「農民芸術概論綱要」の中で言っています。しかし、それこそありえない。個人の幸福の集合体が世界の幸福です。
おそらく、賢治がそういう考えをもつようになったのは、彼の晩年の変化でしょう。日蓮宗の一派「国柱会」の活動に参加するようになり、献身にのめりこんでいったように思います。それを「稀有な利他行」だとおっしゃる人もいますが、死にそうな体になっても農民の相談に応じたり肥料設計図を書いてあげたりすることが、果たしてそうなのでしょうか。おそらく賢治は、お釈迦様が亡くなりそうなときに、教えを請いたい高齢の人がやってきて、その相手をしたいという逸話を知っていたのでしょうし、意識していたのではないかと思います。しかし、それは慈悲というものの本来の意味を取り違えています。
慈悲とは、身体的なものも含めてあふれ出るものです。どうしたから慈悲があって、どうしなければ慈悲がない、というものではなく、その人がそこにいるだけで発散するある種の空気のことだと思います。ですから、まず本人が自足していなければならないし、苦しがりながらやってあげるものではありません。三十七歳という若さで死んでしまっては、なんのための仏教か、なんのための宗教か、わからなくなってしまいます。
賢治が偉大なことは私も認めています。けれども、あの「世界がぜんたい幸福にならないうちは……」だけは禅の見方からは認められません。賢治は禅を標榜しているわけではないけれど、私も賢治が好きなだけに、あの言葉には引っかかってしまいました。
わが身を大事にする心と身体の上手な使い方
亡くなる何年前まで賢治が童話を書いていたのかわかりませんが、創作活動を続けていこうと思うならば、もっと体を大事にしたはずです。そうではなく、わが身を呈したいという気持ちになっていった。決して献身そのものがいけないというのではありません。献身がストレスになっていなければ長生きできるはずなのです。なぜなら、わが身を呈するとき、同時にわが身も快楽をいただいているからです。賢治も、そのわが身がいだいている快楽に自覚的であってほしかったと思うのです。よく、「ろうそくのようにわが身をすり減らして」と言いますが、ろうそくはろうそくで本望なんですよ。わが身をすり減らしているという意識はないと思います。
そのように、禅というものは、精神的なことを体からアプローチして捉えていくことが少なくありません。事実、心の問題といわれることの大部分は体の問題です。体のほうからのアプローチで解決できることが多いように思います。やわらいだ体をしていながら自殺に向かう気持ちが起きてくるとは考えにくいですからね。
学校では、どれだけ早く走れるか、どれだけ高く飛べるかとは教えますが、歩き方、座り方、眠り方なんて教えません。しかし、日本人の基本という意味で、所作というのは重要なことだと思います。それを習えるところがないために、いま僧侶の修行をする人や入門者が増えているのだと思います。体を無視しすぎてきたことの表れなのでしょう。
私たちは、もっとわが身を大事にしなければいけないのではないでしょうか。禅は、長寿の技術者集団だった道教がベースにあるために、上手な体と心の使い方による長寿を尊びます。老子は百五十歳まで生きたとか、それ以上だったという人もいますが、長生きできるということは心と体の使い方が上手だったということです。
心も体も楽になる考え方、生き方というのは、本来の日本的なものの見方の中にあるのではないかと思います。それを見直してもらいたいと思いますね。
2004/05 MOKU掲載