旬Peopleインタビュー

10コ以上の職に就き、イスラム教から統一教会まで体験。行き着いたのが坊主と作家の兼業なんです。

宗教、とりわけ仏教ブームが続いている。3年前芥川賞を受賞した作家・玄侑宗久さんはその旗振り役ともいえるが、素顔は現役の僧侶でもある。21世紀の禅僧に人間や日本の本来のあり方をざっくばらんに語ってもらった。

僧侶と作家との「二重生活」はご苦労も多いかと思いますが、正直なところ、しんどくはないんですか?

「いいえ、それはありません。私は根が坊さんです。僧侶と小説家という二足のわらじを履いているわけではなく、坊主という大きなわらじがあって、その中に”書く”部分もあるんです。ですから、物を書いて食べているという意識はないですね」。

しかし、売れっ子作家に変わりないですよね。

「忙しいことは確かです。去年から今年にかけてめきめき痩せました。小説のほかにもエッセイやこうしたインタビューも多く、それは基本的には先着順で伺っています。『たとえ、週刊実話でも受けますよ』と、他の媒体の方にはよく話していたんですが、ほんとに来ちゃった(笑い)」。

それは恐縮です。執筆のペースはいかがですか。

「どうしても文章は夜遅く書くことになりますが、今は書きたい作品だけ書いているので気持ちは楽なんです。生活のために書いているわけじゃありませんから。使っているのはパソコンで、メイルもやっています。一日2、300件のアクセスがあり、男性は人生の進路というか、職業選択の相談が多いですね。逆に女性は人間関係。異性や親、それにだんなの家族との関係が主です。返事は出しますが、メイルですからすぐ返事がかえってきて、ちょっと困るときもありますけどね」。

ふんどし姿で書いているともお伺いしましたが。

「まさかふんどし一丁ではないですが、確かに下着はふんどしです。学生時代剣道をやっていたので、それからずっとですよ。ブリーフは風通しが悪いですしね。ふんどしは気が引き締まりますよ」。

「仏教ブーム」の火付け役ともなっている玄侑さんは、実家でもある福島県の名刹・福聚寺(臨済宗)の副住職を務めている。だが、学生時代はあちこちの宗教に顔を出したり、様々な職業を経験したという。

禅寺の場合、必ずしも世襲制ではないとのことですが、宗教には関心が強かったんですか。

「住職である父は私に後を継いで欲しいとは言いませんでしたが、何となくそういう期待感は感じ取りますよね。子どものころから本堂の雑巾がけはやらされましたし、お経も小学校低学年ではほとんど読めるようになってました。しかしそういう反発もあってか、学生時代にはイスラム教からモルモン教、天理教までさまざまな宗教を勉強しました。高校生のときには統一教会の合宿にも参加したんですよ」。

職業もたくさん経験したそうですね。

「英語教材のセールスマンやナイトクラブのマネジャー、ゴミ焼却場の現場作業員など、27歳まで10以上の職場で働いていました。ナイトクラブではお客さんの手紙の代筆もしましたが、結局、天職といえるものが見つからず、それで坊さんになったんです。いろんな職業を経験したのは、小説を書く上では宝物になっていますね(笑い)」。

修行はきつかったんですか。

「私は京都の天龍寺で3年間修行しました。そのときは長髪姿で出向きました(笑い)が、さすがに最初の冬は地獄で、厳しいものがありました。でも臨済宗というのは総本山がなくて、それぞれの本山がお山の家風を認め合っているんです。たとえば、竹箒の持ち方にしても、天龍寺では『垂直にして使え』といわれましたし、妙心寺では『横に寝せて使え』という具合です」。

そうなんですか。

「ですから、臨済宗の場合各宗派としての即断即決が絶対にだせないシステムになっていて、私はこういったほうが好きですけどね」。

禅宗といえば、坐禅がつきものですね。

「ええ、私の寺でも毎月25日、坐禅会を開いています。坐禅というと、苦痛に思えるかもしれませんが、実は足がしびれるわけじゃないんです。しびれるのは正座で、坐禅は血流が止まらないんです。現代人は思考を重視してますので坐禅でも連想していると目が左右に動き、イメージを浮かべてる様子がわかります。そのときは警策で叩きます。しかし瞑想の境地では体が揺れません。坐禅の最中、時間が流れていなくて止まっていると実感するときがあります。時間は時計どおりに流れないのに、脳が時計どおりに時を創る。死とはそういう社会的な制約がなくなった状態だと思います」。

学生時代から小説を書いていた玄侑さんだが、本格的に執筆活動を始めたのは40を過ぎてからだった。以後、独特の死生観を描いた作品は幅広い読者を得ている。

仏門に入っても書きたいという意欲は続いていたんですね。

「ええ、それはずっとありました。ほとんど宗教的な体験もない作家が修行僧の真に迫った作品を書いているのを読んで、僧侶である自分が何もしなくていいのか、自分だったらどう表現できるのかと思いましたね」。

でも、書き出すと芥川賞はすんなりと受賞しましたね。

「2回連続でノミネートされ、2回目にいただきました。とくに芥川賞を目指して書いていたわけじゃなかったんですが、最初『水の舳先』が芥川賞候補になったときは、やはりうれしかったですね。仲間とともに温泉で待機してました。でも2回目は『2匹目のどじょうを囲む会』とし、近所の居酒屋にいました。大きな賞ですから周囲も自分も期待が大きくなって、落選するとよく落選疲れみたいなことも言われますが、幸いに私の場合はなかったですね」。

作品は読者だけでなく、同じ宗教家からの評判も高いものがあります。

「『中陰の花』ではこの世とあの世の世界を、『アミターバ―無量光明』では臨死体験を描きました。死後の世界というのはこういうものだとわかる必要はなく、わからないものはいつまでたってもわからないから”信じる”ということが存在するわけです」。

死生観ということに関しては、戒名に対していつも悩んでおられるとか。

「人の人生を10文字程度で表すのは大変なことで、うまいこと表現できないということもあります。文字の持っている意味合いや価値観がありますし、必ずしも満足してもらっていただいているかはわかりません」。

ところで最近は政治的発言も多いようですが、現在の日本についてはいかがですか。

「今の日本は、日本らしさが見つけられないですね。日本的なあり方というのは八百万の神が並列しているように、いくつもの価値観が共存できる世界です。対立的なものを共存させてきた懐の深さが日本にはあります。人間もいっしょで、やさしいときもあれば、おこるときもある。ですから、いろんな価値観が共存しているところが面白い。ところが最近は一般庶民に自己責任まで求めたりして、国家がそんなことを国民に求めることは本来ありえないことです。いわば、覚悟なしに権力を持ってる人間が多すぎます。小泉首相も総理大臣という立場を明確に主張しすぎています。もっと一人の人間に戻ったときの心の葛藤が見えればいいんでしょうが。ある種のアイデンティティ病でしょう。阪神大震災当時の村山さんのほうがおろおろして正直でした。素の顔を見せてくれるほうが国民としても安心できます。小泉さんは仮面で突っ走りすぎでしょうね」。

最後に今後の目標をお聞かせください。

「これからですか。『殺と共時性』をテーマに新しい小説を書いていますが、あまり先のことは考えてません。2年以内にどうするとか、中間的な目標は立てると苦しくなるから立てません。これからも21世紀に宗教は何が出来るのかをテ-マに坊さんが坊さんとして書いて、今を歩いていくだけです」。

2004/08/05 週刊実話掲載

トップへ戻ります