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リーラ 神の庭の遊戯 刊行インタビュー

言語偏愛の風潮に警鐘 -残された人に読んでほしい-

作家の玄侑宗久さん(48)初の書き下ろし小説『リーラ 神の庭の遊戯』(新潮社)は、人が自ら命を絶つという、重いテーマを見据えた作品だ。死と生、魂を巡るこの物語について、僧侶でもある玄侑さんに話を聞いた。

この数年、自殺者は三万人を超え、昨年は三万四千人を突破した。

「自殺する人間はまじめで、自分にたがをはめて目標に邁進していく人に多いと思います。ただ、ちょっとたががきつすぎるんじゃないの、という気がする。流されまいと踏ん張るから、波にさらわれてしまう」。
タイトルの「リーラ」はサンスクリットで、「動詞でいえば、揺れるという意味です。揺れることが自然であり、自然は揺れている」。

三年前、二十三歳の飛鳥が、突然自殺した。拒食症に苦しんではいたが、死の気配を感じさせない女性。それだけに三年過ぎた今なお、弟、母,男友達やストーカーの中に、理由をつかめぬいらだちと喪失感が、生々しく残っている。

「最初にドーナツが浮かびました。真ん中に自殺者がいて、かかわりの深かった人たちが、周囲から真ん中を見るという形です」。

章ごとに視点が入れ替わり、六人の異なる目線から中心の飛鳥が描き出される。二回三回と登場する人もいるのは、「ドーナツ状がらせん状になり、その行き着く果てには神の視点がある、というのを目指した」から。

三年目の命日を翌日に控えた日を起点とする四日間に、登場人物たちによぎる飛鳥の記憶。彼らは時に交錯し、衝突し、時にギリギリのところで擦れ違う。それは、人知の及ばぬ大きな流れ、「リーラ」に支配された世界だ。創作の出発点には、福島県三春町の寺で副住職を務める中での経験もあった。

「お子さんを亡くした親御さんが相談に見えることがある。なぜ亡くなったのか、謎を解きたいと考えておられるんですが、分かり得ないということもあるのではないか。残された彼らに何か言ってあげたいと思った時に、これを読んでみてくださいと言えるものができました」

飛鳥の弟の恋人・弥生は、「リーラ」について、こう説明する。
ヨーガではね、この宇宙がどうしてできたかって訊かれたら『リーラ』って答えるの。神さまのリーラ。気晴らしとか楽しみとか、たいていは『遊戯』って訳されるんだけど『私たちが生きてるのもリーラ。死ぬのもリーラ』
予定や約束に自らを縛りつけて生きる現代人。それを守らなければ信用が失われる社会から、「リーラ」はこぼれ落ちていく。

「我々現代人は、いかに言語を偏愛し、言語に閉じこめられているか。リーラは、言葉を超えた世界にあると思います」。

『禅的生活』『釈迦に説法』と、このところ仏のこころを説いた新書の刊行が続いた。「新書は自分の思考の跡を形にしたもの」という。では小説は?

「脱皮です。どう育つか分からない植物を世話し、どんな花が咲いてくるか、書きながら分かってくる。私自身、書く中でリーラしているし、とらえようによっては、成長していると思います」。

2004/09/03 読売新聞文化面掲載

タグ: リーラ 神の庭の遊戯