人生の締めくくりの大事な儀式である葬儀。今、その姿が変わろうとしています。
形式にとらわれず、簡素に、思い出を偲(しの)べるように。心に残る葬儀のための情報をお届けします。
お葬式のやり方を考える前に、もう一度、お葬式の意味を考えてほしいのです
人が死んだら、なぜお坊さんを呼んでお葬式をするのか? 素朴な疑問なのですが、お葬式についてあれこれ考える前に、理解しておいてほしいと思うんです。
私は、「お葬式は人生の卒業式」だと説明しています。学校の卒業式もそうですが、人間というのは節目がないと大きく変われない。だから昔から、元服だの、成人式といった節目を設けてきたわけです。では、生まれたときが入学で、死んだときが卒業かというと、そうではない。本来、仏教では得度(とくど)して仏の教えを学び、坐禅を組んでということになりますが、仏教とご縁ができた、お寺にご縁ができたときが入学なんです。お寺というのは、寺子屋、学校の役割もあったわけで、昔の人たちはお寺に入学しているという意識があった。だから、卒業式はお寺にやってもらうのが当たり前だったんですね。
ところが今は、東京などの都会では、ふだんの生活でお寺とつきあうことはほとんどなくなってきています。そこで、どこで卒業式をやってもらうんだろう? 葬儀屋さん、もっと自由にやってもいいの? といった多様な考え方が出てくるわけですね。
どうしたら故人の人生があざやかに浮かび上がるのか……。その演出を考えるのがお葬式
お葬式の主役はあくまで故人。しかし、本人はすでにいないわけですから、主体となるのは遺族です。故人の人生をより印象深く、あざやかに浮かび上がらせて卒業させてあげるためには、当然、演出が必要になってきます。私たち僧侶がつける戒名、霊前に捧げる香語(こうご)などにも、故人の生きた証しを伝える意味合いがあるわけですね。
しかしお葬式というのは、家族が亡くなったという非常事態の中、時間なく行われるものですから、遺族はどうしても葬儀屋さんの意見に流されがちになります。そのために故人らしさよりも段取りや効率化が優先されて味気ないものになってしまったり、場所が自宅から葬祭場に移ったために、祭壇の花、遺影、斎場全体の飾りつけが異様に派手、ということも起こってきます。演出を踏まえた儀式である以上、いろいろな工夫が登場するのは自然な成り行きですが、全体のバランスが崩れるような演出は、いかがなものでしょうか?
以前、うちの檀家さんで、「故人が赤いバラが好きだったので、祭壇は真っ赤なバラで埋め尽くしたい」と希望された遺族がありました。葬儀に赤いバラ、と思われるでしょうが、情熱家であった故人の側面が端的に表現されて、とてもいい祭壇でした。また、「故人が好きだった絵本があるので、読経の代わりに絵本を読んでほしい」と言われたこともあります。物語に乗せて亡くなられた小さなお子さんの魂が天に昇っていく感じがあり、この葬儀もまた、印象的でした。故人を偲ぶために、遺族が主体的に演出を考える、それが、お葬式本来の姿なんだと思いますね。
必然性のない葬儀への希望は、死に際のワガママだと思うんです
そうはいっても個性化の時代ですから、最近は個性的な葬送をしたいという人も増えています。臨済宗の僧侶である私に「無宗教でお葬式をやりたい」と依頼された方もあります。
埋葬方法に関しても、先祖代々のお墓があるのに散骨したいと希望する人がいます。例えば、船乗りだった人が海に葬ってほしい、登山家が山に骨を撒きたいというのはわかる。しかし、そうした必然を感じない希望も多いですね。あるとき、「自分はカラコルム山脈のどこかに埋葬されたい」とおっしゃった人がいて、私は「忘れられない思い出でもあるんですか。何度ぐらいそこに行かれたのですか」と訊ねたんです。するとその人は、「一度も行ったことはないけれど、写真で見てきれいだったから」と話されたのです。私は言葉を失ってしまいました。自分の人生にまったく関係のない葬送を、あこがれだけで希望するというのは「死に際のワガママ」というものでしょう。
「葬式不要」という遺言も、ワガママ。それが自分らしいと思っても、遺族にとっては大迷惑です。通知をしなかったために、弔問客がバラバラと自宅を訪ねてきて困ったという話はよく聞きます。あまり親しくない人に連絡をするのは迷惑と考える向きもあるようですが、お葬式をあげるのは、故人の死を公にすることなのですから、できるだけ広範囲に知らせた方がいい。参列する、しないは個人の自由なんです。
葬儀の主役は故人だと言いました。しかし、執り行うのは遺族です。葬式不要、身内だけの式がいい、立派な式がいいなど、希望はあるでしょうが、残された遺族の社会的な立場や財力など、いろいろな事がかかわってくるのがお葬式。子供たちに「あなたのやりたいように、やれるようにやってくれればいいよ。ただ、お願いしたいのは……くらい」と、できる範囲の希望を伝えておく程度がいいのではないかと私は考えているのですが、いかがでしょうか。
お坊さんと仲よくなるとあなたらしいお葬式も見えてくるのかもしれません
さまざまな葬送方法が考えられるようになり、確かに今、お葬式の在り方は大きな変わり目にきていると思います。でもまず、「あなたらしいお葬式」を考えるなら、お坊さんと仲よくなってみるのが近道だと思うのです。キリスト教で結婚式を挙げる人は教会に通って洗礼を受けますが、まぁ、あんな感じです。お寺は敷居が高いと思っている人もいるでしょうか、決してそんなことはありません。菩提寺が遠くにあるなら、住居の近くで、同じ宗派のお寺を紹介してもらうこともできます。
うちの檀家さんの中には、「戒名を自分で作ったんだけど、法則があるだろうから見てもらえますか」と持ってくる人もいますし、「戒名にこの字を入れてほしい」と希望する人も多くいます。ふだんからそういうつきあいをしていれば、僧侶自身も、その人らしいお葬式を考えることができる。遺族が僧侶に気軽に相談でき、葬儀社も一緒になって考えられるお葬式ができれば、いちばんいいのではないでしょうか。
2006/09/28 毎日が発見掲載