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日本経済新聞 夕刊文化

科学超えた仏教の内なるリアリティー

悩める現代人に広がる仏教ブーム。
小説を書く僧侶、玄侑宗久は、最新科学を補助線に仏教を解説。
瞑想(めいそう)などによって「いのち」の全体性をつかむ仏教の「智慧(ちえ)」のすばらしさを説く。

智慧は生命への気づき

オウム真理教の事件で宗教はすべてこわいと警戒されました。だが、宗教を一括(くく)りするのは難しい。最近のイスラム教とキリスト教の突出した闘いを見ても、明らかに仏教とは違う感じがしますね。
 仏教はピラミッド型のヒエラルキーを目指さない。多元的な価値を並列的に扱い、両極端の答えに偏らず、それを含んだ中道を選ぶ仏教的な在り方は、洗練された知性の形ではないでしょうか。
 抹香臭いと見られがちな仏教だが、実は近代主義と一番折り合う宗教で、大変深みがある。例えば「空即是色(くうそくぜしき)」を語る時も、現代物理学の考えを利用させてもらっている。エネルギーに満たされた「空」という全体の中で、我々に粒子という形で現れたものが「色」なのです。
 しかし、仏教は科学を超える部分も持っている。言葉を用いた理知的な見方は、生のリアリティーを感じるには不向きなんです。自らが状況の内側にいて感じるリアリティーは、外側から理知で眺めるのとはまったく別な事態になる。ブッダが説いたのは理知によらない体験的な知の様式である「般若(はんにゃ)」なんです。

最近『現代語訳 般若心経』を刊行した。「般若心経」は解釈本、自由訳などいろいろ出版されているが、僧侶として仏教的な知の観点から書く必要性を感じたためだ。

仏教は智慧を標榜(ひょうぼう)する珍しい宗教です。それは瞑想によって得られるもので、「覚醒(かくせい)しているのに思考していない」という貴重な状態です。ロジカルでない脳の使い方で、直感力が鋭くなる。
 「般若心経」を暗記して唱えている最中も、感覚は鋭くなり、瞑想によって至る境地に達することができます。呪文のようにお経を唱えると、「再生」「再出発」する喜びが感じられる。般若とは、裸の「いのち」が本来もっている生命力への気づきです。
 なぜ人を殺してはいけないか――最近そういう問いが出てくること自体、論理的な知にからめとられているのではないでしょうか。生命体としての自分に問えば、答えはしごく当然のこと。私とあなたを切り離された「いのち」とするのは錯覚で、あなたを殺すことは私を殺すことだと感じられるはずです。

様々な職業を経て二十七歳で出家。現在は故郷の禅寺で作家活動を続ける。小説の登場人物が僧侶であることが多い。

私自身が本を書くことは、日常の中で無意識にしている仏教的な考え方を意識化したいからなんです。伝統的なものが実は非常に現代的で、柔軟な思考を含んでいるということを訴えたい。
 作家と僧侶の間で、矛盾を感じるのがちょうどいい。自分でも何で書いてしまうのかわからない。トンネルに入ってその先に何があるのか楽しみだという感じで、ラストに向かう恍惚(こうこつ)感によって小説を書く労苦も報われます。

2006/10/04 日本経済新聞掲載

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