本来言葉は因果律に則らないと人の理解を得ることは難しい。
しかし、言葉という道具を使いながら、
因果の及ばない時間も書けると思いますよ。――玄侑
僧侶とは生の専門家
<「手を抜く」というのは嫌なのです>と本書のなかできっぱり述べていらっしゃいましたね。年中無休で私服はもたず、福島県三春町の福聚寺副住職として、檀家の法要にもできうるかぎり出向かれているとのこと。そのうえ今年はほぼ毎月のペースで新刊を出されています。養老孟司さん、村上和雄さんをはじめ、対談のお仕事も多くこなされ……。どれほどの密度で毎日お過ごしなのですか?
私にとって書くことは消費ですね。それに対してお経を唱えたり、坐禅をするのは充電。檀家の人と話すのも心が和んで好きですよ。だからバランスがとれて、疲れないのだと思います。ただ作家としては、ちょっと胡散臭さが足りなくなってきたという気分はあります。仏教とか禅にまつわる解説的なロジカルな文章を多く書いてると、どうしてもそうなってくる。だから九月に出た『現代語訳 般若心経』(ちくま新書)で、仏教関係の本はいったん小休止することにしました。
すると、『お坊さんだって悩んでる』は、五十歳になられた一つの区切りのようなご本でしょうか。主に全国、各宗派の僧侶から寄せられた、きわめて現世的、具体的な難問に回答されている問答集。仏教雑誌の連載が一冊にまとまったものですが、それぞれの相談にほんとうに真摯に応じていらっしゃいますね。急場凌ぎではない、生き方の根本を説かれている。覚悟のいる明答にしてご名答ばかりです。しかも上から押しつけるような説教ではなくて。
こう考えるべきだ、という答えは何かを後ろ盾にしたとき、まあ、私の場合はお釈迦さまとかある宗派がこういっているということを背景にすると、強い口調で伝えられるんでしょうけど、それと重ならない自分というのも居ましてね。どうしても教え諭すような口調では書けなかった。
自分の意識としては、禅宗の坊さんであることはたんに下着を着けただけで、あとは上に何を着ようが本人に任されているという感じ。実際、禅宗の坊さんには歌手も考古学者もいる。もう亡くなられましたが、国際ボランティアの先駆けとなった「曹洞宗ボランティア会」(現在の「シャンティ国際ボランティア会」)を結成した有馬実成さんのような方もいらしたわけです。
私の場合は自分で選んだ上着が小説家なのですが、それでも僧侶ほど幅広く生死や病気、お金にまつわるテーマを与えられる職業はありませんね。僧侶とは渾然とした生の専門家である、と考えています。
宗教家でしかも作家となると、かなり大胆な発言、反骨的な姿勢が許容される、というか期待されるのではありませんか? 天台宗権僧正、瀬戸内寂聴さんの直言も迫力ありますし、カトリック信者の故遠藤周作さんや曽野綾子さん、それぞれ独特の説得力と影響力をもった方々です。
仏教のなかでも、私が臨済宗という宗派にいることは大きいでしょうね。他の宗派だと、もしかしたら小説家にもなっていないかもしれません。ピラミッド型の組織ですと、個人の意見が表出しにくいですよね。禅宗は自分の思ったことをいうのに憚るところがあまりないので、非常に精神衛生上いい。本山に行けばそれなりのセクト意識はあるんでしょうが。
それにしても、よくぞこんなに答えにくい世間の問題に応じられたな、と思います。<オウム真理教の麻原教祖の死刑を、どう考えたらよい?><イラクに派遣される自衛隊員に何と言ったらよい?>など。殺生をいさめる仏教者としては、死刑も戦争も、「反対」が大前提となるのでしょうけど。
難しいですね。仏法と王法、あるいは仏法と世間法にはズレがありますからね。私がこの本でいいたかったのは、国家が提供する価値観を絶対視したり、鵜呑みにする必要はないということでした。私自身、自分の心のなかの日本と、政治的国家としての日本は別だと思っている。ただ国家としての統一的な顔は必要だから、やっぱり国家も立ててあげないと。そんな柔軟性を大事にしていったらどうかと申しあげているんです。
戦国時代までのお寺は、いわゆる民衆の“駆け入り”だけでなく、いわば政治犯的な人も大勢かくまっていました。キリスト教社会にも「のがれの町」はあったし、歴史学的な用語では、そんな治外法権地区をアジールと呼んでいますね。どの時代の社会にも、法の及ばない緊急避難所は必要なんだと思います。
これまで日本は、そういうあいまいな場所を許す、矛盾を許容する国でもあった気がします。最近はそうではありませんね。靖国神社をめぐる言論に表れたように。
ええ。是か非かという二元論に持ち込まれていますよね。小泉首相の参拝を機に、あいまいさを許す発想がない国に包囲されて、賛成と反対、どちらなのだと無理やり答えを迫られている。それを焦点として取り上げるマスコミもよくありませんね。
岡倉天心も書いていますが、鎖国しているうちは野蛮な国といわれ、外国と戦いはじめて、初めて日本も文明国になったといわれた。そういう近代国家のシステムとして、国のために戦った人を祀る装置を各国が設けているのは確かですし、靖国神社はまさにその装置としてつくられたものでしょう。それは私から見れば伝統的な日本でもないし、日本らしいとも思えないのですが。
敗戦の時点で、神社ではなく靖国寺としてしまえばよかった、とも本書でお書きですね。
はい。神社であるために多くの人は国家神道の亡霊を感じてしまうのではないか、と。これからは宗教施設ではない、慰霊の場を設けなければならないという提案も上がっているようですが、それではしかし政治的施設になってしまい、永続性が確保されないと思います。
重ねていいますが、国家だって世間だって間違いを犯すわけです。だから振り回されすぎず、自分の人生を処していくために、私自身はクッションとして仏教や禅の考えを参考にしている。そのうえでしかし、実際にイラクへ派遣される人には、結局「死ぬなよ」としかいえないでしょうね……。
民間人の犠牲は何人までやむおえないのか、自衛隊から犠牲者が出たとして、それが何人になったら撤退も考慮するのか。政治的には具体的な数字で答えを示してほしいと思いますが、むしろそういうところに限って、ますますあいまいなまま放置されていくのでしょう。
私はたんなる通路かな
対照的に、現世的、具体的な判断、救いの道が性急に宗教へ求められている気がしてなりません。質問のなかにも、そんないまの時代が透けて見えるようでした。尼崎で昨年、痛ましい列車脱線事故が起きましたが、なぜ、同じ電車に乗っていて運不運があるのか。人生は善悪ではなく、運ではないか。そこまではいいとして、<運がよくなるお寺のお守りや身代わりお札なども、持ってたほうがいいんでしょうね>となってしまう。
この場合、問題は人知の及ばない世界にわれわれがどう関わることができるか、そして、祈りは運命にどう作用するのか、ということになります。私はどんな事態が起こっても、それが天命、つまり制御できない自然な現象だと納得するためのアイテムとして、お守りやお札があるのだと思っています。自分に不利益を及ぼす事態に遭遇したとき、それが誰か他人のせいだと思うと非常に不自由な思いにとらわれてしまう。尼崎の列車事故も運転士に非があるとされるわけですが、その時間、その電車、その車両に乗っていたそれぞれの犠牲者のその日の偶然、そんな偶然と必然の、無数の関係性のなかの出来事だったと思うのです。
だからこの本では、<お守りやお札を見たら、世界の中心が自分でないことを確認し、そして大きな流れを肯定的に受け止め、その流れそのものである「天命」や神を信じる>。そうすることで誰かのせいにするという、きわめて不自由な思いから自由になってほしい、と回答しました。
そうですね。このご回答はとくに深く心に残りました。<全ては幅広く息の長い全体性の中の出来事>だと。お守りの底に仕込まれたほんとうの祈りを思い出して自由になれ、と。ここでいわれている<「天の眼」で見れば、よりよい方向へ向かうためのプロセスにすぎない>という考え方は、最近のスピリチュアルブームの言葉ともちょっと似ているのですけど。
「スピリチュアル」を標榜されている方たちは、心理学も踏まえたうえで、明確に二元論にしてしまう人が多いのでは? そこが私は不満なのですが、だからこそわかりやすくてブームになっているんでしょうね。
以前書かれた長編『リーラ 神の庭の遊戯』(新潮社)は、霊的な気配が人々の思いをつなぐという、不思議な広がりを感じる現代小説でした。けれども玄侑さんの小説は、因果を感じさせながらも、あくまでいま生きている人間の選び取る意思を物語の基本に置いていらっしゃるように感じます。
私たちはよく、いまこの喜びがあるのは子どものころのあの経験があるからだ、というように、結局、因果律でいくつもの事柄を納得がいくように結びつけて考えていきますよね。そうやって時代や歴史も解釈していく。けれども禅というのは「因果一如」。また道元禅師は「修証一等」だといっている。修行と悟りは一つで等しい、という意味なのですが、つまり修行したから悟ったんじゃない、いまはいまで独立している、因果で結ぶなということです。
われわれが坐禅したり瞑想や念仏のときに感じたりするのは、極端な言い方をすれば「永遠なる時間」なんです。いわゆる時間の流れをつくっている脳機能がまだ働きださない状態に自分を留めておくというのが、瞑想や坐禅の技術ともいえる。感覚はするけど知覚までもっていかないという、かなり苦しい努力をしないとできないことなのですが。ここで生じるのが知覚しないという自由。知覚には時間も概念も絡まってきますから、歴史からも因果律からも自由になれる。これほど自由なひとときはないですね。
そういう時間を味わってみたいですね。でも小説ほど、因果でこの瞬間を語りがちな形式もないように思うのですが。
そうですね。本来言葉は因果律に則らないと人の理解を得ることは難しい。しかし、言葉という道具を使いながら、因果の及ばない時間も描けると思いますよ。小説を書いていてラストに近くになると、ほとんど自分が書いてる気がしない、ということがよく起こるんです。書いている私はたんなる通路から、という感じ。自分のなかでもそんなことが起こるわけですから、言葉を使いながらも因果だけじゃないものを表すことはできるんじゃないかと考えているんです。
それはすごい。たしかに芥川賞を受賞された『中陰の花』(文藝春秋)や『アミターバ 無量光明』(新潮社)には、なんとも不思議な時間が流れていますね。登場人物にうっすらと後光が差しているような。悠久の時間の流れに含み込まれた因果のようなものも、玄侑さんの小説から受け取りますよ。
そうですか。ああ、やっぱり小説って面白い。長編小説が書きたくなってきますねぇ。
でも、『禅語遊心』(筑摩書房)などを読みますとね、仏教の検索エンジンのような方だと(笑)。解説書や講演でその知識を分けていただきたいと要望が殺到するのももっともだと思います。
禅宗、禅語というのは、いろんなところから引っ張ってきて、言葉を道具にしちゃうんですね。論語だって漢詩だって、禅の気持ちを表わす道具にする。そのくせ言葉を馬鹿にしているから、主たる経典は置いていない。
そして言葉を利用しながら言葉が表す因果を超えることをめざしている。道元禅師という人は、かなり意識的にそれを行なった人だと思いますね。『正法眼蔵』を一〇〇巻まで書こうとして結局八七巻までで終わりましたが、彼にとっては悟りだけでは意味がなかった。悟りの境地を「身心脱落」といいますが、その意味は概念でつくってあった「私」の輪郭が崩れ落ちて、全体性のなかに抜け落ちること。その脱落した状態から、もう一度全体性と関係を切り結んでいく。それが現成、現実に成ることで、生きるということはその場その場でいちいち現成していくことなんですね、その作業がなければ生きていることにはならない。悟っても何の意味もないと道元禅師は考えたのです。その作業が『正法眼蔵』だったと思いますね、書くという執念を私はそこに見るんです。
いちばん苛立っているのは政治
その境地は、言葉を超えたものだとしても、やはり書いた言葉でしか伝えないわけですね? こちらの理解が及ばなくて申し訳なくなりますが、なんだかありがたい気持ちになってきます。
玄侑さんは仏典や大学で専攻された中国文学だけでなく、脳科学や心理学へのご関心も深い。『禅的生活』(ちくま新書)に引用されている本から、そう思いました。仏教の教えも現代科学とともに日々進化している……。
悟りという現象も、脳機能としてかなり科学的に説明されつつあるわけです。しかしそれでも解明されないところを、われわれ僧侶は自信をもって深めていけばいい。
最近、私自身は土地に染みついた力というものに興味がありますね。人の思いと一体になった土地の力。「風水」への関心も高まっていますが、もともと禅宗のお寺には道教系の風水が流れ込んでいたりもするんです。その場所のもっている全体性、人工的にそれが損なわれて生じる災い、それから人によって、場所から与えられる作用も違ってくるのだ、というような人知を超えた土地の力について想いを深めてみたい。できれば複数の視点から語る長編で。
とはいえ、小説に専念されることは、やはり許されないかもしれないですね。いま、玄侑さんが時代から要求されていることと、個人的な願望はもしかしたら重ならないかもしれない。
そうかもしれませんね。ほんとうは、いちばん苛立っているのは政治に対してです。いまの政治に対する不満や嫌悪感がものすごくある。昔は僧侶がそんなに政治や経済から切り離されていなかったでしょうから、こういう地団駄を踏むような気持ちはなかったかもしれない。でもいまは実社会から切り離され、手足をもがれたようになっている優秀なお坊さんが、周りにも大勢いるんです。彼らは発言しないじゃないか、といわれますが、訊きにくる姿勢が失われている。そういう意味で、私が背負っている部分はけっこう重いという意識はあります。
結局<手を抜くということは嫌い>。「禅的生活」を続けていかれるのでしょう。
2006/10/10 Voice掲載