経験したことがない揺れでした。寺の山門脇の塀や灯籠、お墓も倒れました。墓石はただ倒れるだけでなく、信じられないような場所に吹っ飛んでいます。
原子力発電所の危険から逃れる人が私の町にも大勢押し寄せています。避難し終わったと言うけれど、町の公共施設は公民館や体育館も満杯。住民を乗せたバスが施設をいくつも回り、「流浪」する状態でした。
いつ帰れるか分からない避難住民たちが臨時の共同生活を乗り切るには、施設のトイレをきれいに使うことが最低で最大の条件です。大勢の人が使いますから、トイレがどうしても汚れがちになる。最初は我慢しても、ストレスがたまり、不満を他人に向けるようになる。
寒さや心細さで大変でしょうが、まずは身近なことをきっちり仲良くしてほしいと思います。
原発に関する情報はあいまいなものが多く、不安を募らせています。原発の建設で人間は電気が使える量が増大するのに合わせ、自分の欲望も膨らませてきた。簡単なことは言えませんが、技術と欲望のどこにストッパーをかければいいのか、否応なく考えさせられます。
2011/03/14 読売新聞掲載