これほどの地震は経験したことがありません。私の寺は福島県三春町にありますが、山門脇の塀や灯籠、六地蔵が倒れ、お墓では墓石が信じられないような場所に吹っ飛びました。
もっと北部や浜側の被災地にあるお寺の被害はさらに甚大で、屋根が落ちたり山門が壊れたりしています。当該地域の和尚たちはお葬式ができないほどの死者に直面していて、そのうえ被災者を受け入れなければいけない。悲惨この上ない状態です。
亡くなった方の埋葬も大変で、なにしろ火葬場まで壊れている地区もありますから。塩釜の和尚たちは火葬場でのボランティア読経を始めたそうですが、仏教の教え云々という余裕のある段階ではありません。救援と供養とが同時に進められなくてはならず、彼らは身を挺して頑張っていると思います。
三春町には地震の直接の被災者も来ていますが、むしろ原子力発電所の危険から逃れる人たちが大勢押し寄せてきています。町の公共施設は公民館や体育館も満杯で、避難住民を乗せたバスが施設を回り、流浪するような状態でした。
避難住民の方たちは寒さと心細さでさぞ大変でしょう。その不安を少しでも和らげるには、私たちが話を聞いてあげるだけで、ずいぶん違うのではないでしょうか。家族を亡くした方へのグリーフケア(悲嘆回復)のため、私たち僧侶も、避難している場所に出向いていくことが大事になると思います。ただ、いまはまだ余震も多く、原発も流動的です。まずは防寒や食糧の確保と言ったライフラインを構築が最優先ですが、その後のことがはっきり見えてこないのが現状です。
2011/03/19 週刊ポスト 2011/4/1号掲載