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何も言えない、でもここが道の原点

東日本大震災をわたしたちはどう受け止めればいいか、自らも被災した福島県三春町の福聚寺住職で作家の玄侑宗久さん(54)に聞いた。

天明の大飢饉以来

 被災者全体に向けて言える言葉なんかありません。身元確認も供養もできないご遺体が大量にあるという事態は天明の大飢饉以来かもしれない。あくまでも、地震や津波には何の悪意もない。日本人はこれまで転載を従容として受け止めてきました。最終的にはそう思うしかないのだけれど、しかし、それは時がたってようやくできること。今、それを言ってもしょうがないと思います。
 私の寺も地震で塀が倒れ、お墓もめちゃくちゃになりました。三春町は福島第1原発から約45キロしか離れていません。町内には原発周辺の町村からの避難所がいくつもあり、こまめに廻って物資を届けたり、避難者の話を聞いたりしています。
 そこで被災状況をつぶさに聞けば聞くほど、やりきれなくなります。被災後、一度も笑ったことのない人、表情の消えたおばあさん、完全に毛布をかぶって動かない人…。避難所にはそうした人がたくさんいます。
 避難所で「玄侑さん、何か話してください」と頼まれることもありますが、大上段にはとても言えない。言葉では「一から始まる」とよく言います。人間は何もないところにいろいろなものを作り上げてきた。それがなくなったという意味では「一」なのでしょうが、精神的にはマイナス何百かわからない。「一」に戻るには時間がかかると思います。

温度差が人々裂く

 今回の震災は非常に複合的です。地震、津波の被害だけでも目を覆うほどですが、さらに原発で申告な情報が進行中です。原発からの距離による避難、屋内退避というくくり方が行政を、放射能の脅威に対する温度差が人々を、分裂させています。それがきつい。みんなで力を合わせて復興に向かうことができない。お葬式にしても家族、一族がばらばらに避難しているため、まともに行なえません。
 放射能の脅威というのは悪霊のようなもの。目に見えず、逃げても逃げても追ってくる。気にすればするほど存在感を増してしまう。いま一番、精神的にストレスを感じているのは住んでいた土地を離れて流浪している人たちでしょう。
 津波で暴れ出した原発は今も制御できず、大勢の避難者を生み出しています。今後、大量に出る角廃棄物にしても、ガラスで固化して30~50年冷却保管し、それから300メートルより深く地中に埋めなければならない。まさに「龍」です。今回、さまざまな不手際を露呈した東京電力や政府に扱える代物ではないような気がします。

日本社会の転換期

 地震の大揺れが来た瞬間、わたしの体を「今のままではいけない」という感じが通り過ぎました。地震や津波という自然は一瞬にしてすべてを変えてしまう。結局、われわれはすべてに「仮住まい」している。そういう本来的な状態を、はっきり感じた人は多かったと思います。技術を含め、あらゆるものが欲望化している日本の社会が今、大きく変化するときなのではないかと考えています。
 もしお釈迦様がいたら、何と言うでしょうか。やはり、亡くなるときに語られた「自灯明、法灯明」だと思います。「自らをよりどころにせよ。そして、その自らが見た世界の法則をよりどころにせよ」と。どんな偉い人が言ったことでもなく、自分が見聞きし、体験した、そこからしか道は始まらない。そういう意味では、ものすごくしっかりした道の原点を、わたしたちは得たと思います。

2011/03/30 河北新報掲載

タグ: 復興, 東日本大震災