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「3.11」からの復興 論点スペシャル

骨と血で生き直せる

 私が住んでいる福島県三春町は東京電力福島第一原発から約45キロ・メートル圏。震災当初は目を覆うばかりの津波の被害に呆然としたが、今は原発の脅威をひしひしと感じている。岩手県や宮城県は復興へ向けて動き始めたが、福島県はまだ混迷の「底」が見えない。
 政府や東電は情報をすべて公開しているのか。パニックを避けたいとの配慮は分からなくもない。ただ、情報を隠されれば、不安はよけい募る。その点、非常に不満だし、信用できないと感じている。
 天災は従容と受け止めるしかない。しかし、人災である原発事故に関しては従容としているわけにはいかないのだ。政府も東電も国民に対して誠実であって欲しい。
 住民避難にも、非常に困った状況がある。対象範囲を原発から20キロ圏、20~30キロ圏と機械的に区切っているので、一つの市や町村が分断されてしまった。なぜ市町村単位で避難させられなかったのか。
 行政の分断だけでなく、家族の離散も起きている。携帯電話などで割と情報を得やすい若い世代は避難を考える。でも、年寄りは住み慣れた家に残りたいという。避難指示にはもっときめ細かさが求められる。
 三春町にも避難所が設けられており、私も訪れた。避難者の誰もが全国からの支援に「本当によくしていただいて」と感謝の言葉を述べる。しかし、私から全員にかけられる言葉はあまりない。それぞれの被災の状況が千差万別だからだ。個別に話を聞くしかないのだが、無力感を覚える。何も悪いことをしていないのにこんな目に遭っているという理不尽さを、みんなが胸の奥に押し込めている。
 東北各地の被災地で生き残った人々は、例えて言えば、服を脱がされ、皮膚を破られ、肉も断たれ、されど骨はあるという状態だ。服の柄とか、肌の手入れとかにこだわっていた以前の自分がばかばかしくも思えるだろう。ともあれ、服や皮膚や肉に関するものが全部吹っ飛んだ。
 骨以外のすべてを剥がされてしまったのは、実は被災者だけにとどまらず、日本人全体である。これまで大事だと考えていた物事が、あっさり崩れている。
 世の中全体が未来をみくびり、自然を侮ってきた。シミュレーションによって想定できるのだ、と。そもそも想定なんかできるはずがない。私たちの卑近な日常でさえ、想定外のことばかりなのだから。
 計画だとか目標だとか呼べば、ものすごく立派なものに見えるが、予断にすぎない。眼前の惨事は、予断に満ちた社会と、日本人が漫然と信じてきた安心・安全に対する重大な警告だ。
 人間の死に「死に甲斐」があるとすれば、「その人の死によって周りがどれだけ変わったか」ということ以外にはない。今回、これだけべらぼうなことが起きた。骨だけを残して、肉など外側のものはみんな変わっていくというくらいの価値観の転換が起こるべきだし、起こるだろうと思う。
 人間は、骨があって、周囲の人との心のつながりに血が通えば、生きていける。

2011/04/02 読売新聞掲載

タグ: 復興, 東日本大震災