玄侑宗久さんが済む福島県三春町は福島第1原子力発電所から45キロ。あらゆる業種が風評被害を受け、自殺者も少なくないという。
「放射能へのおびえ、リストラ、余震。生きる地盤そのものが揺れている。津波とは別種の災害がダメ押しし、底が見えない。放射能の問題がなければ、閉塞感はこれほど強くない」
新たな共同体の芽
原発周辺の住民約400人が三春に避難している。
「生まれ育った町から避難しなさいと言われる。分散居住を強いられる。いつまで続くかわからない。我々はどうなっていくのか。ユダヤ人の出エジプトの状態に近いが、日本人にそんな体験はない。これからどうやってコミュニティーを保っていくのか。町民意識は風土が与えてくれる。春の祭りや秋の収穫。そんな風土そのものが奪われた」
ただ、将来の展望が見えない不幸のどん底で、新しい芽生えもあるという。
「三春町の避難所でのアンケートで、仮設住宅ができても申し込まないと答えた人が25%もいた。そのまま避難所にいたいという人が31%。炊事当番、掃除当番などを決めての共同生活で、悩みを共有し、仲間意識をもっている。仕事はないが、みんなでいれば何とかなるという気分がある」
「避難所には新たなコミュニティーが生まれているのかもしれない。このコミュニティーを生かす形で今後の住宅を造らないと、大変なことになる。避難民の声に耳を傾けてほしい」
今は言葉を速く
玄侑さん自身も原発事故の発生当初は心が揺れたが、地震から6日目に寺に居続けると決意した。
「宝永の富士山大噴火のとき、住民が避難するなか、白隠禅師は本堂に坐禅して逃げなかった。天が自分を見捨てるのなら、自分もそこまでなのだ。だからここにいると。白隠は自分が残っていると知られれば、人々に何かを与えられると考えたのだろう。お寺さんがいるよ、ということは、揺れるやじろべえの重しのようなものだと思う」
「放射能騒ぎの渦中でも東北の人はお彼岸の墓掃除に来るし、塔婆をもらいにくる。私も安心をもらった」
「彼らの暮らしは自然とともにある。雨が降ったら畑仕事は延ばす。自然に対する諦念をもつ。和辻哲郎がいうモンスーン型の気質。コツコツと努力するが、いざというときはあきらめがよい。天災の受け止め方が都市の人とは異なる」
ただ原発の問題は違う。
「これは人災だ。どうしていくのか逐一検討していかなくてはいけない。前例にとらわれていてはダメだ。何もかも奪われてどん底で暮らす人々に、総理は希望をかかげてほしい」
震災直後から積極的に発言を続け、国の復興構想会議でも直言している。
「今は言葉が直接現実に働きかけ、現実が動く。ならばとりあえず、そうすべきだろう。熟成させた文学の言葉は、読者の深くまで届くと思う。だが今は速やかに届けることが必要だ」
2011/04/26 日本経済新聞掲載