第1回 迷う時間の大切さ
宗教か、文学か私は長く悩み続けた
10代の頃には、ものを書きたい気持ちが生まれていたのですが、その一方で家を継いで坊さんにならなくてはいけないのかという重い気分も抱えていました。答えを出しようもなく模索していた高校時代に、哲学者の星清先生に出会います。
星先生はご自身の研究のために、うちの寺を開いた「開山さま」を調べにいらしたのです。足利尊氏に招きを受けても応じない、権力に近づかない禅僧だったのですが、私は当時それを知らなかったこともあって強い興味を覚えました。西洋哲学から禅のほうにどんどん傾倒なさった星先生は、「キルケゴールが言っていることは、とっくの昔にこちらでこの禅僧が言っている」などと思いもかけなかった話をしてくださった。
今になれば恥ずかしい限りですが、寺というのは日常の生活が付随しているので、禅とか仏教などの哲学的な部分や思想が単独では見えにくく、私は坊さんという仕事がそんなに哲学的だとは思いもしなかったのです。でも星先生は、「ものを書きたいということそのものが、哲学にも禅にも通じていくのではないか」と見ていらしたのだと思います。高校生の私は、寺を継ぐという敷かれたレールに乗って行くことにためらいがあって、その苦しさをひたすら話していたのですが、深い知識を持つ大人がただ黙ってうなずきながら私の話を聞いてくださっている。それがものすごくうれしかったし、やがて自分が思い込みにとらわれていることに気づく機会になりました。
世の仕事の分類は自分になじむだろうか?
私が苦しんだ一つの要因は、宗教と文学を別の分野として捉えていたからです。図書館の分類を思い出すと分かりますが、政治、経済、宗教、哲学、文学、科学と、はっきり別の分野にされているため、若い私はその複数にまたがる仕事など考えられませんでした。あの頃悩んだことは後悔していませんが、戻りたくはありません。
以前ある中学校から電話があって、「生徒に職業体験をさせたいのですが」と言うのです。坊さんや寺のことかと思ったら、小説家のほうだと(笑)。小説家の部分だけ分けて見習いたいとは無理な注文ですが、しかし、そうやって自分がやりたいことさえ見えていない子どもたちに、形から整えて教育しようとするのが現在の日本です。初めから八百屋さんを目指している人が八百屋体験をするなら役に立つでしょう。でも何か一つ既成の分類のなかで体験させても、余計な色がついてしまうだけだと思います。はたして本人のためになるのでしょうか。
私は予行演習やリハーサルというのが好きではありませんが、若い人の仕事も同じだと思います。リハーサルをすると何となく知ったような気分になってしまい、実際の場で自分が持っている底力を出せない。いざここで働くとなった時には、何も分からないけれど、ぶっつけ本番で自分の力を総動員することが大切なのです。それでこそ自分でも気づかなかった思いや力が生まれてくる。とにかく与えられた状況でやってみることが大切だと思いますね。
現在の社会は仕事が分類されているだけでなく、考え方やコミュニティーまで整理されていますから、ここへ進んでいけば将来はこうなっていくというようなリハーサル人生が待っているかも知れない。後先分からないほど無我夢中になるような状況が訪れず、人生が終わるまで本番がこなかったら残念です。でも、人間は状況によってどんな力がでてくるか分かりません。自分を見くびらないでほしいと思います。
第2回 「本来の自分」信仰を捨てよう
多くの職業現場を体験した20代
小説家とかお坊さんにとっては、どんな体験も肥やしになると考えて、私はさまざまな仕事に就きました。たぶん全体を知った上で仕事を選択した、というスタンスをとりたかったのでしょうね。ナイトクラブで水商売もしてみたし、土木作業もやりました。この機会にやらなければ一生しないだろうと思ったのがセールスマン。当時ワンセット二十数万円した英語教材を売るのですが、営業成績は悪くないのに売れるたびになぜかすまないような思いにとらわれる(笑)。
忘れられないのは、その英語教材を売ったある予備校生のことです。受験用には向かない教材だと感じていたので、とても申し訳なくて、私が受験の時に吹き込んで勉強した英語テープを、もう一度吹き込み直して送ったりしていました。また、広告のコピーライターもしましたが、けっこう気が塞ぎましたね。小説とは違う世界なので、骨を穿(うが)つような言葉が吐けなくなる気がしたのです。
世の中のいろいろな職業を体験してみると、どんな仕事を目指すにしても、最初から「私」に合った仕事だけを自分で決めて探すというのはもったいない。もともと「本来の自分」などはなく、「私」が放り込まれた現場の中で、そこに対応する自分が顔を出してくるわけです。どんな可能性があるか自分でも分かりませんから、現在たまたま見えている「私」を守ろうとするあまり、仕事との縁を切らないでほしいと思います。
若い人はファジーでいい
私の原作本『アブラクサスの祭』を映画化した加藤直輝監督は、1980年生まれとまだ若いのですが、彼には独特の「はっきりしなさ」、ファジーさがあって、それが周りの意見をみんな吸い込んでいくように見えました。撮影の早い時点で「僕はこうだと思います」と言ってしまうと、もう周りからの意見はピタッと止まるものですが、彼は4人いる年上の助監督の意見を全部じっと聞いて最後まで何も言わない。そして改めてその場で考え、最良の選択をしていきました。
若いうちは見聞きしている世界が少ないのですから、別な人や知らないことに向き合った時にはファジーな対応が正解だと思います。でも最近では、若いほどはっきり自分をアピールしがちだし、分かりやすい夢や目標を掲げるべきだと追い込まれている。とりあえず自分のキャラを立てることにエネルギーを使う様子は、本来若い人には不似合いで可哀想な状況です。
通信機器が発達して、メールなどで来る日も来る日も「自分はこういう人間なんだ」と輪郭を確認するのは、実はつらいことです。あいまいな「私」ではなく、はっきりとした「本来の私」にならなければと焦るから息苦しくなる。そんな必要はまったくなく、今ある自分は十分に私らしいと思っていいのです。
時々目を閉じて周囲に振り回されない時間を作り、一回ファジーな時間に戻ってみてほしい。めまぐるしく細かな情報を分析しながら「私」を確認していくことを休み、むしろ何にでも対応できる無心の自分を信じていくことです。
第3回 事が起きれば自力が出る
システムが壊れたら人間力しかない
このたびの東日本大震災では、多くの人が家や仕事環境を失いました。私の住む福島県三春町にも避難してきた方々が多いのですが、家だけではなく土地も失っていますから農業を再開しようにもかなわず、漁業はもちろん難しい。それぞれの町の被害も甚大ですから、勤め先を失った若い人も数え切れないでしょう。将来の計画が崩れ去ったと嘆くかもしれませんが、だとすれば別の道を見つけるしかありません。進むべき道は自分の頭で思い描いていたことだけではないし、少ない経験の中で考えていた将来がベストとは限りません。
ここ20年来、机に張りついてパソコンに向かい、システムを動かしていくことを世の中では「仕事をしている」と言っていたような気がしますが、仕事がマニュアル化されていることが、私には承服できないのですね。今回の地震で、集約的な仕入れなどを中心としていた大企業の弱さが露見しました。全国的な流通システムに頼って運営していた企業はきわめて弱かったと思います。
しかし、システム化出来ない仕事こそ、これから立ち直っていく時の元手になるのではないか。すべてが壊れた後に、本当にハンディーな人間力が頼りになるのではないかと思います。一度出来上がっていたものが壊れると一時は不安ですが、一人ひとりが自分の力を用いて新しい歩き方を見いだす機会でもあります。
先の計画ではなくその時その場の力
安心して計画したとおりに人生が進んでいくわけではない、と今回の地震は教えてくれました。不慮の状況を前にして立ち上がってくる自分の力、考え方、行動力、それこそが合理性の中で収まりきらない人間の力ではないでしょうか。予想外のことに臨んでどんな素晴らしい能力が出てくるのか、そうなってみないと自分には分からないものです。あなたの火事場の馬鹿力を見くびってはいけません。
計画や目標というのは自分が考えられる狭い範囲のことなので、その延長に飛躍は起きません。しかし、例えば作家の岡田斗司夫さんは、ご自身の体重を減らすために、ただ自分が食べたものを毎日記録するだけの「レコーディング・ダイエット」を実行し、およそ50キロの減量に成功したそうです。もしも自分で何キロやせるといった目標を立てたなら、目標は常識の範囲内になったはずですから、奇跡のような減量は実現しなかったと思います。
人間は、計画とか目標といった、今の小さな自分で判断するものよりももっと強い可能性を秘めているものです。事が起きれば、必ずその力はその時に応じて生まれてきます。大地震はつらい試練ではありますが、また、一人ひとりの力を引き出してくれる機会でもあるのではないでしょうか。その時、その場で自分に湧き上がってくるものを信じ、先行きに不安を感じるのではなく、持っている力をどう活(い)かそうかと考えてほしいと思います。
第4回 働くことが自然な日本人
「食べる」「寝る」と同じ。「仕事」は基本的な欲求
世界でもまれな気質ですが、日本人にとって働くことは決して苦役ではありません。欧米や他の国々の「ワーク」は、ノルマや義務を意味することが多いですが、日本人には、生きている限り働くことは当たり前で、寝食と何も違わない。外国の人々から「ワーカホリック」と非難を込めて呼ばれても、実はピンとこないというのが本音ではないでしょうか。
西洋の労働の起源はギリシャ神話に出てきますが、シジフォスという男が山の頂上に岩を運び、やっと運び終わるとその瞬間に岩が転がり落ちて、また運ぶことの繰り返しという不条理が仕事の原型として描かれています。でも日本の神話では、神様が田んぼを作り、機織りもする。仕事は神様もなさる尊い行為なのですね。
素戔鳴尊(すさのおのみこと)が狼藉(ろうぜき)を働き、太陽神である天照大神(あまてらすおおみかみ)が天の岩戸に閉じこもって世界が真っ暗になったその時、みんなが外で楽しげに歌い踊っていると天照大神がそっと岩戸を開け、みなの顔(面)が光で白く見えたという物語があります。これは諸説ある「面白い」の語源の一つですが、日本人は困った状況の中でみんなの力を合わせ、そこに光明が差してきた状況を、うれしく面白く感じるのです。
私は今写真を撮られていますが、カメラマンさんにとって撮影は仕事です。でもすでに必要を超えた枚数の写真を撮りながらも、細部に起こってくる細々とした変化に喜びを感じて、彼の脳下垂体からは気持ちのいいホルモンが出ているに違いありません(笑)。市場原理や取引に置き換えた上での労働ではなく、楽しいからやってしまう。そういう古くからの日本人の資質を、現代人も自然に発露したほうがいいのではないでしょうか。
つながりを切らない 労働が生きる下支え
東日本大震災で町から避難した人々に、最近一時帰宅が許されるようになりました。1世帯で2人まで。そこでテレビのリポーターが、息子と家に戻るという70代の女性に「帰ったら何をしますか?」と問うと、次はいつ帰れるか先が見えないのに「掃除します」と答えたのです。もし帰宅できるのが1人だけなら、あれこれ迷いながらも何をしていいか分からず、時間だけが過ぎてしまう場合もあるでしょうね。でも2人になった途端に「困った状況でも、力を合わせて働く」という日本人のDNAにスイッチが入るんですね。ちょっと驚きました。
自分が住んでいるコミュニティーで、周囲の人々とそれぞれの力を出し合って労働する時、インターネットざんまいの若い人であっても、そこでの仕事は生きている実感にすごくつながっていくでしょう。頭で考えたり、不安になっている毎日より、働いている時間のほうが落ち着くはずです。
これからも焦る必要はありません。立ててあった人生の計画が予定通りにいくことが幸福とは限らないでしょう。思い込みに縛られることはないのです。遠回りをしても、もっとはるかな遠い着地点を心に描いて、大きな流れに沿っていってほしいと思います。それで大丈夫ですから。(談)
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