身近に感じる仏教

無常の価値を、見直す時代

震災後、多くの人が心のよりどころを求めています。こうした中、仏教の果たす役割とは? 作家で僧侶の玄侑宗久さんを福島の福聚寺にたずね、仏教の魅力について伺いました。

寛容さが日本仏教の特徴

 仏教はインドから中国を経て日本に伝わる中で、独特の強調がなされてきました。その一つが死後の世界観です。インド仏教では人間を含め、動物はすべて輪廻(りんね)転生すると考えます。しかし、血統を重んじる中国では先祖に豚がいるはずはないと輪廻を認めず、否定したまま日本に伝わりました。つまり、日本では死後の保証がない状態で火葬が行われるようになったのです。そのため、平安時代の貴族達は死んだらどうなるのか不安で仕方がありません。そこで生まれたのが、死後は極楽浄土に行けるという浄土教でした。
 では、日本人の思う浄土とはどのようなところでしょうか。実は、地方によってかなり違いがあります。例えば、沖縄では海の向こうにニライカナイという楽土があると考え、立山では死んだらあの山に入るのだという山岳信仰につながる。そんな個別の死生観をうまくすくい上げたのが「あの世」という言葉です。この言葉を考えた人は偉大ですね。あの世と言えば、皆それぞれが「ああ、あれね」と納得できる。日本の仏教は個別の信仰を否定せず、同じ仏教としてやっていきましょうという、実に賢明な方法をとったのです。

同じ事は二度ないという無常観

 諸行無常・諸法無我・涅槃寂静の三宝印は、インドの時代からの仏教の旗印です。この中でも特に、諸行無常――あらゆるものは変化し続けるという無常観もまた、日本で強調され、鴨長明の「方丈記」で完成された気がします。「方丈記」のテーマは、辻風や大火事、地震、飢餓など、思うに任せない環境の変化にどう対処するか。これまで存在したものが突然なくなる状況下で、いかに心の平安を得るかです。諸行無常という人生観は、こうした状況の中で「同じ事は二度と起こらない」ことを教えてくれます。体験する本人も変化していくのだから、一生のうちに同じことは決して起こらないと。だからこそ事実を受け入れ、その時々で出てくる知恵を信じようというわけです。
 諸行無常というと儚(はかな)いと捉えられるかもしれませんが、無常だからあんまり落ち込むなよ、明日は違うよ、という明るい解釈もできるのです。

知識とは得て、忘れるもの

 東日本大震災を経て、これまでの生き方を見直したり、心の指針を求めようとしたりする動きがあります。その一助を仏教書に求めるのもよいでしょう。ただし、仏教書を知識の蓄積のために用いるのは邪道だと私は思います。知識はひとまず得て、その上で忘れることが必要です。身につけば、忘れることができるはずです。身につくまでは本を参考に、坐禅(ざぜん)を組んだり念仏をとなえたり、何かの行をするとよいでしょう。いずれにしても大切なのは、人生は一過性の連続なのだ、無常なのだということを強く自覚して、過去の経験にすがらず、今起こっている事態に心を活発に働かせることです。あらかじめ作られたマニュアルにとらわれるのは仏教的ではありません。マニュアルには現状に近いことは書かれていても、現状そのものではありません。その異なる部分が大切なのです。今は、効率優先で進んできた社会を見直す大きな契機です。仏教に親しむことで、人が人をきちんと見る本来の社会へと方向転換できればと願っています。

2011/08/07 読売新聞掲載

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