にっぽん未来図 農へのまなざし第11部⑥

“閉じる社会”も大事 適正規模の生活守れ

 今の社会は市場経済が隅々まで行き渡り、大規模なシステム化が進んでいる。農業も例外ではない。工業製品と同じ感覚で消費者からは、均質な農産物が求められている。大量にできると、質に関係なく価格が安くなる。一部には有機野菜への関心もあるが、消費者が求めているのは「有機栽培の雰囲気がする工業製品のような見栄えのいい野菜」でしかない。
 根本にあるのは消費者の「面倒くさい」という思いであり、消費者が愚かしいと感じる。もっと食べることにエネルギーを使ってもいいのではないか。
 何が幸せなのかを考えると、売れれば売れるほどよいというのはあり得ない。何でもほどほどを目指すべきで、程を超すからおかしくなる。
 市場原理からいえば、お寺も檀家(だんか)をどんどん増やせばいいのだろうが、それでは住職として全員のことをよく知ることはできない。だから、私の寺では20年以上檀家は増やしていない。物事には適正規模というものがあり、それで生活が守れるように国は配慮しなくてはいけないはずだ。
 グローバリゼーション(国際化)ばかりが強調されるが、社会を外へ開いていったときに勝ち抜くには、どうしても大規模なシステム化が必要になる。逆に、ある程度狭い地域で地産地消する“閉じる社会”という考え方も大事になってくる。
 農業でいえば、市場原理を徹底すれば、結局は競争力がある安い輸入食品に頼ることになる。自らは食べないかもしれない人が生産する海外の食料に頼るのは、極めて危ない。見栄えしか気にしなくなるからだ。
 ところが今回の福島第1原発事故による放射能汚染で、地産地消とばかりも言えなくなってしまった。「諸行無常」という仏教の基本も言いにくくなった。諸行無常は、今栄えているものが長くは続かないとか、今駄目でも少し経てば事情は変わるから悲観しないで、という両面の意味がある。日本人の生活感覚を表す言葉だ。しかし放射性物質の半減期は、ものによって30年、数万年、数億年と、あまりに長い。
 特に農業へのショックは大きいだろう。農家は自分の感覚や経験を積み重ねて農作物の出来を判断してきたのに、それが否定され出荷できなくなる。努力とは関係なく、機械で測った放射性物質の数値による審判を仰ぐしかない。農業の基本である土地も汚された。この状態が続けば、農家にとっては生きていられないような事態だ。
 技術開発を含め、諦めずに除染することが大事だ。大概のことは人間が手を掛けるといい方向にいかないと思うが、今回ばかりは人間の力を使って自然と共同して“無常の力”による浄化を期待したい。

2011/08/26 日本農業新聞掲載

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