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声 あの日から半年

報道機関 追求の気概を

 震災から半年がたつ。災害心理学では、この時期に「蜜月期」から「幻滅期」に移行すると考える。被災者たちが力を合わせて困難を乗り越える「蜜月期」が終わり、政治や行政などの大胆な施策なしには立ちゆかない「幻滅期」に入るのである。 むろん、すでに幻滅している人々も多い。そこには報道機関の責任もあるように思う。
 神奈川や静岡のお茶、そして一関(岩手)の稲わら、さらには陸前高田(同)の松からも放射性セシウムが検出されたというが、それはいつ飛んだ放射性物質なのか、政府や東電に追求したメディアを、私は寡聞にして知らない。これまでの自社の報道内容に整合しなければ、そのまま告げるだけでは済まないはずである。
 実際、神奈川や静岡に飛んだ3月21日、一関に飛んだ3月12日の爆発やその影響の詳細について、政府や東電は正式にはまだなにも発表していないはずである。陸前高田の松についても、いつ飛んだのか未だにどこも追求してくれないではないか。
 世間にはたしかに玉石混淆の情報が入り乱れているが、大本営発表が「玉」とは限らない。今や東電だけでなく、各メディアが自分たちを護ってくれる人々なのかどうかも、被災者には判らなくなっている。
 新政権には、とにかく第三者機関も投入し、企業論理での隠蔽を排除する仕組みを作り、原発そのものを一日も早く収束できるよう導いてほしい。そして報道機関には、たとえスポンサーでも容赦なく追求する気概と矜恃をもっと見せてほしい。

2011/09/11 毎日新聞掲載

タグ: 東日本大震災