特集 これからを生き抜く知恵

禅が教えてくれること

いつでも心が自在に動くように――固く結んだ「私」をほぐし、思い込みをそぎ落とす
ものごとを決めつけるのではなく、「ゆらぐ」ことの大切さを説く玄侑宗久師。
安易な答えではなく、矛盾や渾沌を抱えて歩むことで、人は強くなれる。

一本化が進むほど、人々から創造力が失われていく

いま、日本を覆う閉塞感の最大の原因は、何だと思われますか?

誰もが自分を結び過ぎていることだと思います。過去もいまも未来も固定して考えてしまい、ゆらぐことができないのです。その理由は、一本化です。
3.11を経て、日本はこれまですべてを一本化する方向に進みすぎていたことに気がついたのではないでしょうか。日本においては、一本化は美徳ではありません。日本人はそもそも、多様性を重んじる民族なのです。多様だが一途な民族です。近代日本の歩みは、その多様性を踏みにじりながら一本化し、システム化する、そうした歩みでした。
 何か事が起こると、決まり文句のように「二度とこのようなことが起こらないように対処します」と繰り返します。その結果、何が起こるかというと、決まりを厳しくして、現場を締め付け、関係のない人間までがんじがらめにしてしまう。それまで以上に厳しく一本化を推進するわけです。そうやってどんどん住みにくい社会にしてしまった。

そうした状況は少しも日本人らしくない?

日本人は、基本的には一本化したくない、決めつけたくないという気持ちの強い民族だと思います。よく単一の言語を話す単一民族国家と言われますが、歴史学者や民族学者の研究によれば、少なくとも四つ、おそらくそれ以上の民族が融合して、いまの日本人があるわけです。
 今後はますます人の和が重視されるわけですが、人の和は、締め付けや厳格なルールによって保たれるものではなく、多様性の上に築かれるというのが日本流だと思います。

まさに、「みんな違って、みんないい」という考え方ですね。

その言葉は仏教的でもありますが、日本人古来の生き方でもあると思います。「お上、いまで言う政府の見方はそうかもしれないけど、俺たち庶民の見方は違うよ」というデュアルスタンダードも、地域による常識の違いを重んじる心もそのひとつです。
 たとえばエスカレーターでは、東と西で、なぜ人の立つ側が左右逆なのか。理由はわかりませんが、共存しています。方言にしても、文化にしても、自然に融合したり、お互いに取り入れたりすることはあっても、無理に一本化しようとは思わない。東京には東京の価値観があって、大阪には大阪の価値観がある。どっちとも違うよと、名古屋が名乗りを上げる。それでいいわけです。
ところが、経済原則がそれを無理やり一本化しよう、システム化しよう、一極集中化させようとするわけです。

一本化、システム化の最大の弊害は何でしょうか?

「活潑潑地(かっぱっぱっち)」という言葉があります。これは、禅に由来し、「活発」の基になった言葉です。活潑とは、「心が自在に動くこと」です。一本化され、システム化され、マニュアル化されると、脳はどんどん活動しなくなります。そして心も停滞してしまう。禅はそれを嫌うわけです。そのときその場の状況に応じて、心が自在に対応することこそ肝要だと考えます。それを「ゆらぎ」と言います。心が躍動し、創造力が増している状態ですね。
 もうひとつ、大事な言葉に「吾唯知足」(われ、ただたるをしる)という言葉があります。「知足」という考え方は初期仏典の『法句経』にすでに見られるものですが、訳語として『老子』から採られた言葉です。外に求めなくても、必要なものはすべてわが身に具そなわっている。何かを身につけるのではなく、むしろ脱ぎ捨てよという意味です。まず己を知れ、そして、つまらない既成概念などはさっさと捨ててしまえというわけです。

自分自身、あるいは自社に自信をもち、自らの強みを知り、それを伸ばせと言っているようにも聞こえます。また、マニュアルに縛られず、変化に際して心が自在に対応できるようにするというのも、確かに、今後ますます必要なことですね。

根回しは、悪いことではない。それはリーダーの役割だ

いまの政治は何も決められないと言われますが、そのとおりだと思います。その第一の原因は〝根回し〟をしないからです。根回しというのは、そもそも造園用語です。成長した樹木を移植する際に、根などを傷つけてしまうと活着できずに枯れてしまったり、生育不良になってしまうリスクが高い。そこで、移植する半年から一年ぐらい前に根元近くの太い根を切断しておく。そうすると、その切断面から新しい根が生えてくる。新しい根は一所懸命に水や養分を吸収しようとするので、移植しても活着しやすいのです。
 人間社会においても、根回しは必要です。
 政治は、そもそも大多数の利便性や安全などのためにある政策を推し進めるものです。しかし、それは一方で必ず一部の人間の人権を踏みにじってしまいます。政治とはそういうものなのです。だからこそ覚悟が必要で、いろいろとフォローをしながら進めていかないといけない。まさに根回しです。そういう自覚がいまは足りないのだと思います。
 国が腹案をもって、みんなの意見を集約していかなければいけない。そのために必要なのが根回しなわけですが、根回しは汚いものという見方がいまは優勢で、根回しをしない。だから決まるものも決まらなくなる。合意形成ができないのです。すべてそうですよね。沖縄の基地も、福島の中間貯蔵施設も……。いまは、国のリーダーシップが欠如している。県もそうだと思います。唯一頑張っているのが市町村長ですよ。

みんながよりよく前に進めるように、前もって準備をする。不利益を被る人には、納得のいくフォローをする。そしてひとつの成案に意見を集約していく。それが根回しが持つ本来の意味というわけですね。

そうです。それを、覚悟をもって推し進める。それがリーダーの役割だと思います。頭ごなしでは人は動きません。

多様性を認めるのが日本流 組織には、ムダや遊びも必要
組織の力は合力で成り立つ。合力は「整然」からは生まれない

ところで、組織における人材についても、デュアルスタンダード、さらにマルチスタンダードが必要だと思いますが。

会社というのは、合目的的な集まりですが、その目的に向かっていく際に、主題からそれる勇気もまた必要だと思います。それは遊びであったり、ムダであったりするわけですが、そうしたムダや遊びは組織に必要なものです。
 たとえば『釣りバカ日誌』のハマちゃんがいい例です。仕事はできないけど、その人がいるとなぜか場が和む、あるいは他人にやる気や力、アイデアを与える触媒になるような人は組織を強くします。一見、ムダにしか見えないのだけど、そうした存在は決してムダではないのです。

意見の相違についてはどうでしょうか?

〝人の和〟が大切なわけですが、それは必ずしも似た者同士が集まることを意味してはいません。似た者同士が集まれば、そこにはむしろ競争しか生まれません。問われるのは「合力」であり、それは違う方向に向かおうとする力を合わせたものです。だから組織の内部にも多様性が必要なのです。意見の相違をぶつけ合い、前に進むのがいいはずです。
 ただ、時に反対の方向に向かう勢力が同じ組織にいるといったこともあります。これでは合力は生まれません。生まれるのは足の引っ張り合いだけです。そこは注意を要します。

日本人は古来より、神仏習合をはじめ、さまざまなものを取り入れ、融合してきた民族ですね。

仕事の仕方というか、働くための組織のありようもそうですね。古墳時代から飛鳥時代にかけて、朝鮮半島から、「部べ の民」が渡来してきます。これは職能集団でした。たとえば「機織り部」が「はとり部」になり、「服部」になったと言われています。そして、その職能によって、働く場所が決められたのです。同じ仕事をする人たちが同じ場所に集まって働き、そして暮らしたわけです。
しかし、それ以前は「伴とも」という体制でした。これは、同じ場所にさまざまな仕事をする人がいっしょに暮らして、コミュニティをつくるという形態でした。次第に、部制のほうが効率がいいからと優勢になっていきます。しかし、部制には潤いがない。だから伴と部を折衷したかたちを重んじ始めるのです。両方あっていいというのが、日本的な組織論であるわけです。

そうした日本的なものをかなぐり捨てて、グローバル・スタンダード、その実アメリカン・スタンダードに一本化してきたわけですね。そこにいま、多くの人が窮屈さを感じている。

それこそが日本人の感性だと思います。ただ、そこに違和感を感じない日本人も徐々に増えてきているような気がします。システムがポンと導入されてしまうと、自分たちでアレンジする余地がないのですね。システム化を推進して、マニュアルでがんじがらめにして、現場の成員が判断する余地をなくしていく。言葉を選ばなければ、働く者は無能でもいいと言っているようなものです。人を育てるという意識がたいへん希薄になってきているように思います。サービスもマニュアルどおりならば、別に人間でなくてもいいわけで、それは全然、日本的ではない。それこそ活潑さが失われてしまいます。

ここは一から出直すくらいの決意が必要ということでしょうか。

そうした決意は必要だと思いますが、勘違いをしてはいけないのは、日本人はあくまで一から出直すのであって、ゼロからではないということです。アメリカ人はゼロからやり直す。原点に返るとなると、それまで構築してきたものをすべてかなぐり捨ててしまう。しかし、日本人は違います。身についてしまったことは捨てようがないと割り切る。そこは受け継ぎながら、そのうえで余計なものを脱ぎ捨てて、新しいものを構築していく。それが日本流です。そこを間違えて、「リセット」しようとしてもダメです。あくまでも日本人であるという原点に立って、結んでいたものをほぐし、心が自在に動くようにすることが肝要だと思います。

2012/08/04 SQUET掲載

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