インタビュー 複線人生のすすめ

恩師の言葉に導かれ様々な自分を生きる

 日本人は「二者択一」とか「道は一筋」といった行動の美学を、無意識のうちに刷り込まれていると思うんですね。私も剣道をやっていたこともあって、「躊躇することは悪」というか、「すみやかに決断し、決断したら男に二言はない」といった行動の美学に捕われすぎていたきらいがあります。出家前に作家になるか、寺を継ぐのかとことん悩んだのもそのためかもしれません。
 出家すると心に決めたのは、あるとき、恩師に「両方やってみたらいいんじゃないか」といわれたのがきっかけでした。すっと胸のつかえがおりたんですね。
 僧侶になってから十三年間は僧侶の仕事が忙しく、若い頃の夢だったにもかかわらず、小説を書こうとは思いませんでした。
 ところが僧侶の仕事を続けるうちに、自分の中で整理できないものが澱(おり)のように溜まってきてしまった。たとえば、僧侶には亡くなった人の人生を戒名という形でまとめる仕事や、お通夜の席で亡くなった人の人生をどう受け止めるかを話す仕事があります。そんなとき、想像を絶するような、どういう人生だったのかまとめ切れない人が多々いるんです。これは今もそうです。
 その人たちの人生を仏教の枠の中で理解するだけでなく、教養とか宗派の考え方を超えて様々な光をあて、様々なアプローチをしてみたかった。それが小説なら可能かなと思ったんですね。再び書き始めたのはそれからです。
 若い頃に書いていた小説のテーマも宗教的なものでしたが、宗教の現場を知らずに書いていました。論理的に構築していくものが多かったんですが、現場にいると必ずしも論理だけでは説明できないものが見えてくる。
 たとえば「鰯の頭も信心から」というように、どう見ても鰯の頭にしか見えないものから、宗教でいう「安心(あんじん)」を得ている人が多いわけです。この「安心」を得ていることが大事なのであって、「安心」を得るための概念はさほど重要ではない。年を重ねるに従って、そんなことをひしひしと感じるようになってきました。
 現在の私は僧侶でありながら作家でもあるわけですが、「二足の草鞋」を履いているつもりはありません。よく「一足の重い草鞋」を履いていると説明しています。
 つまり、僧侶の一つのあり方として小説も書きますよ、ということです。僧侶は何をしていてもおかしくない。ですから、机に向かっていても僧侶だし、お経をあげていても、畑を耕していても僧侶なんです。人間としてできることはすべて僧侶としてできる。ある意味無節操ともいえるのですが、会社勤めの人に比べると、自分を限定する度合いが少なくてありがたいです。

捨て去ったはずの自己が無意識の中で燻っている

 一般に日本人は「自分とはこういう人間なんだ」というように、自分をどこか限定しがちで、それに合わないものは拒絶しようとする。それを潔癖とか操とかいって褒める。これは、どちらかというと儒教的な考え方です。孔子が「三十にして立つ、四十にして惑わず、五十にして天命を知る」というように、生まれてきたからには、実現しなければならない自己があると考えるわけです。人生五十年の時はそれでよかったかもしれませんが、いまは逆に、一つに限定せずいろいろな自分を生きると考える方がいいのではないかと思っています。
 最近、アーノルド・ミンデルという心理療法家が面白いことを言っています。人が亡くなる際に、昏睡状態に陥ることがよくありますよね。彼によると、この昏睡状態はそれまでの抑圧されていた自己が出てくることによって起こるのだそうです。
 ミンデルは、白血病で昏睡状態に陥ってしまった男性を調べて、興味深いエピソードを披露しています。その男性は、ビジネスの世界で成功を収め、自分でも人生に悔いなしと思い込んでいたんですが、実はそうではなかったというのです。彼は学生時代に医師を志したのですが、親の死で断念でざるを得なかった人なんですね。

「限定された自己は方便」そうと知ることが悟りなのかもしれません。

 ミンデルがボディーランゲージで対話を繰り返すうちに、彼が「医者になりたい」と言い出したんだそうです。かつての夢はとうの昔にあきらめ、ふんぎりも付いていた。本人もそう思い込んでいたはずなのに、実は意識の底でもう一つの人生を捨ててはいなかったというのです。
 この男性の例のように、自分の人生の中で捨て去ったはずの自己が実は無意識で燻っているといったことが、よくあるのではないでしょうか。
 「アイデンティティー」という言葉がありますね。「人格」と言ってもいいかもしれません。人間には人格があるという考え方は、明治になって欧米から入ってきたもので、江戸時代にはなかったと思います。

複数の人生を生きるのがもともとの日本人

 たとえば、当時は俳句をやるときはこの名前、絵を描くときはこの名前と、いくつもの雅号を持つ人がいました。江戸時代は、自分を限定しない生き方がむしろ普通だったんです。
 仏教でも一人の人間のアイデンティティーを定めることは本来しません。なぜなら、人は地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天道という六道を輪廻すると考えますから、いい人・悪い人と峻別することも難しいし、性格判断のようなものも意味がない。
 しかし、欧米という個人主義の社会では一人ひとりがしかるべきアイデンティティーを確立することが人生の目標になってきます。そういう考え方と儒教的な行動の美学が結び付いて現代に至るまでわれわれを縛ってきたわけです。明治人によくある、晩節を汚さない生き方もそういった背景があってのことでしょう。
 そういう自己限定のきつい生き方をしてきた人ほど、限定が解除された時のショックが大きいのです。たとえば、会社人間としてずっと自己制御してきた人は、退職後の生き方に迷うことが多い。
 ですから、ある年齢を超えたら、自分に課してきた限定を少し緩めてあげるような生き方をしてほしいですね。もちろん、若い頃は儒教的な、頑張って何かを実現する、という限定した生き方は必要です。しかし、その限定した方向性はあくまでも仮のものだということをどこかで認識しておくべきではないでしょうか。
 色々な自分を出していくためには「何か一つ新しいことを始めよう」と思えばいいんです。「自分を変えよう」としてはいけません。そのためには、それまでの人生を総括しなければなりませんから。
 ときには坐禅を組んでみるのもいいかもしれません。坐禅を組めば、年齢も地位も男女も関係なくなってすべてを脱ぎ去ることになります。自分の中に眠るもう一人の自分に会えることがあります。坐禅とはいわば本質自我に出会う体験なのです。

2003/5/22 日経Masters掲載

トップへ戻ります