コロナ禍 作家・僧侶の玄侑宗久さんに聞く

「離れてつながる」大仏に学ぶ 人が人を求める本質浮き彫り

 新型コロナウイルスとどう向き合うか。「コロナ禍」後の社会とはどんなものなのか。芥川賞作家で僧侶の玄侑宗久さん(64)に聞いた。
 「感染症の防ぎ方がいったん過剰になるのは仕方ない。最初は『それじゃ離れすぎだろう』というくらい距離をとってもいいと思う。でもそれを一時的な我慢だと思っていると元に戻ってしまう。それでは、新しい距離の取り方がテーマ化しない。結核の場合を見ても、日本は先進国の中で罹患(りかん)率が高い=。緩みやすいところがあるのではないでしょうか」
 ウイルスに対するあり方を考えるうえで注目するのは、奈良時代だという。
 「共同で緩い紐帯(ちゅうたい)を人間に持たれるのが、ウイルスには最も困った状況ではないか。そこで思いだしたのが聖武天皇(701~756)のことです。天然痘の大流行や大地震、飢饉(ききん)が相次ぐ中、『離れているけどつながっている。皆が緩くひとつにまとまる』という考え方を、人々を救済する菩薩(ぼさつ)のための経典である『華厳経』から学びます。そして、そのお経が『すべての人を照らす』と説く『毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ・大仏)』」を奈良・東大寺に造立した。大仏をシンボルに、すべてを一律にではなく、個別性を認めたうえで国として緩くまとめようという意思があったと思う。あれがひとつのモデルではないでしょうか。ただ今回の場合、大仏ほどのシンボルはちょっと思いつきませんが」
 ウイルスへの向き合い方が問題となる一方、感染者に対する差別も浮上した。
 「東日本大震災に伴う東京電力福島第一原発の事故後に起きた福島県人への差別、あるいは在日コリアンへの差別などはその人の『属性』を攻撃しています。ところが、今回は差別する側もされる側も、属性は関係ない。いわば全員が対象です。その意味では差別どころか平等なのです。平等に目覚める時だし、個というあり方が際だつ時ではないでしょうか」
 感染拡大を防ぐためとして、人との距離の取り方も課題だ。テレワークが推奨され、リモート(遠隔)での動画発信やオンライン会議システムが急速に広まっている。
 「リモートは加速度的に進むと思いますが、進めば進むほど、本当は生身の接触を求めていることに気づいていくでしょう。リアルなミーティング、会食自体が否定されたような状況ですが、食事の喜びって、出席者同士の会話以上のものはないでしょう。そういうものは変わらない。本質的に人を求めていることが浮き彫りになるのではないですか」
 「フィジカル・ディスタンス、対人距離を2メートルとろうなどといわれますが、2メートルではできない会話がありますよね。マスクをしているともう少し近づけないかと思うことがあるし、違う自分が出てくるのではないか。鼻と口を覆うマスク越しだと、にこっと笑えばすんだことも言葉にしなければいけない。言葉はマスクによって求められる度合いが増したんじゃないか。人との距離を遠ざける一方のものではないなと思い始めています。そういった点で、対人関係が非常にスリリングになってきたと思います。新しい生活の実態は、極端からもう一度揺り戻さないとできあがらないと思う。手探りの作業で『このくらいなら大丈夫』という、スリリングな対人距離を取り戻していくべきでしょう」


=2017年の人口10万人あたりの届け出率は13.3で、10以下の欧米より高い(公益財団法人結核予防会のホームページから)。

2020/06/24 朝日新聞(関西版)掲載

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