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ベラボーな生活(匿名希望 男性)

『ベラボーな生活』を読んでいて、「玄」について考えました。
『老子(福永光司著)』によれば「それは人間の言葉による秩序づけを拒み、人間の感覚知覚を寄せ付けぬ非合理な渾沌ではあるが、全く死滅した渾沌ではなく、ほのかな赤味を生の胎動として覗かせる黒く巨大なエトヴァスであった」とあります。つまりエントロピーが小さく白黒がはっきりした生々しい(若々しい)世界ではなく、かと言ってエントロピー最大で真っ黒な「死の世界」でもなく、その手前の少し「ゆらぎ」のある老成した大人の世界を「玄」と呼んでいるのではないでしょうか。
もしそうであるならば納得できることが身近にひとつあります。それは真っ黒な礼服を生理的に受け付けれないことです。
結婚式で礼服姿の列を眺めていると、様々な黒があることに気付きます。喜ばしい席に真っ黒な礼服では気が滅入るので少し色のあるものを着たいのですが、派手な服装で目立つことは参列者としてのマナーに反するので少し鮮やかな黒を私は選んでいます。
そんなつもりで選んだ礼服ですが、葬式にも着ています。生々しさと死の間にある「鮮やかな黒」は、故人を偲ぶ場にも相応しいと勝手に思っている次第です。

タグ: ベラボーな生活 禅道場の「非常識」な日々