ないがまま ――『アブラクサスの祭』より――
私は今日、あることを発見し、非常に驚きました。
それは、『アブラクサスの祭』(玄侑宗久・著 2001年)が、映画化され、今年10月に公開されるという情報です。なぜ、発表されてから9年経ったこの時期なのか、とても不思議です。
実は、私のブログタイトル「ないがまま」は、私のオリジナルではありません。
『アブラクサスの祭』の中の一節です。さらには、宗久さんの造語です。
以下は、『アブラクサスの祭』の書評ではありません。
玄冬の「ないがまま」の物語です。
私が昔、『アブラクサスの祭』を読んで、最も印象に残った句が「ないがまま」でした。
臨済宗妙心寺派・福聚寺(福島県三春町)の住職の長男として生まれた宗久さんは、すんなり寺を継いでいいのか苦悩する。
モルモン教、統一教会、天理教、イスラム教、ものみの塔、などに触れ、さまざまな職業を転々とし、やがて実家の副住職になったのは30歳を過ぎてから。
しかし、小説を書きたいという思いは捨てきれず、苦悩はくすぶり続ける。
『アブラクサスの祭』の主人公・浄念は、宗久さんの投影だ。
ロック音楽におぼれ、薬に頼る浄念が念願のコンサートを開く。
自分は何者なのだろうと迷い続けた彼は演奏中、「おまえはそのままで正しい」 という神の啓示を受け、恍惚となる。
彼の揺れ動く思いを知り尽くしている妻は、演奏を聴きながら 「ないがまま、ないがまま」と念じる。
宗久さんはいう(朝日新聞(福島版) 2002年4月5日)。
――今の日本人は、そのまま、あるがままという言葉に縛られていやしませんか。
無数の自分があるという意味で、連続した自分なんて本当はない。
だから、あるがままっていっても、どの自分か分からないんです――
自分は何者だと迷いながらも、~わからないものはわからないままでいい~、そう思いながら僧侶を務め、小説を書き続けた宗久さん。
2001年、第2作目の『中陰の花』で第125回芥川賞受賞を受賞した時、宗久さんは45歳でした。
私は昔、ある心の問題から、糸の切れた風船みたいにフワフワと生きていた。地に足がついていないみたいで生きている実感がなかった。中身からっぽの張子。魂の抜け殻。
自分は何者? 自分は人間? 人間かどうかも怪しい。せめて普通の人間になりたい。こんな自分が生きていてもいい?
「何もできない」「役に立たない」「お前はいらない」「出来損ない」といわれ続けて、自分でもその通りだと思っている私でも、生きている価値がある?
「あるがままでいいんだよ」っていわれても、「ある」って何? 私には魂もない。
それでも、「おまえはそのままで正しい」といってくれる?
「ないがまま」でいてもいい?
私はずっと私を否定され続けてきた。
肯定されるって、こんなに楽なことなんだ。
2004年に、私はその呪縛から自力で脱出した。
やっと自分は人間になれたと思った。
あの「ないがまま」は、人生で初めて、私を肯定してくれた言葉だった。