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四季対談

震災後の日本 効率最優先 大転換を

未曾有の大惨事となった東日本大震災。発生から間もなく4カ月となる現在、地震と津波による死者・行方不明者は2万2千人を超え、東京電力福島第一原発の事故は収束の見通しが立っていない。日本の転換期になるとも言われる今、私たちはこの震災をどう受け止め、どう生きていけばいいのか。作家で僧侶、国の復興構想会議委員でもある玄侑宗久さんと、欲を抑えて足を知る生き方を説く俳優で、元参院議員の中村敦夫さんに、玄侑さんが住職を務める臨済宗福聚(ふくじゅう)寺(福島県三春町)で語り合ってもらった。

3.11

震災の時、私は寺ではなく、町内の別の場所にいました。車同士がぶつかり、いつまでも揺れが止まらない。何か重大なことが起こると予感しました。そこに原発の事故が起きて、これかと。

私は参院議員の時代から、超党派で脱原発の活動をしていたので、ある程度、原発の基礎知識はありました。だから震源が東北と聞いて、えらいことになると覚悟しました。津波が無かったとしても、あれだけの揺れなら、機械類は壊れます。分かっている人は、分かっていた。
しかし政府も政治家も、原発に関する基礎知識が無かった。この40年、マスコミも含めて多くの人が官僚や電機事業連合会、東電にマインドコントロールされてきた。電力会社や経産省の原発関連CM予算は、年間数千億円規模。最大のスポンサーなわけです。

口止め料みたいなものですね。青森県は1人当たりの年間所得が240万円(※青森県調べ)ですが、使用済み核燃料再処理工場のある六ヶ所村は1360万円(※同)です。大熊や富岡など立地町村の人たちにも、もっと声を挙げてほしいけれど、「あれだけお世話になった」という思いがブレーキになっている。

CMなどで原発を広報するための原稿は、原稿料がケタが二つぐらい違うと聞きます。そちらに転んだ有名人を、われわれは「感電した」と言ってますが…。情報開示して国民的な議論を続けているヨーロッパと違い、日本は議論そのものが封じられてきた。

その結果どうなったか。計画的避難区域の飯舘村では、102歳のおじいさんが「足手まといになるから」と自殺しました。人と人の繋がりが分断されたと感じます。ここ三春町は福島第1原発から真西に45キロで、当初は避難民3千人が押し寄せました。それがさらに分散していった。この人たちが町に戻れずに、いつまで漂わなければならないのか。気がかりです。避難地域の役場は住民の把握に大変な努力をしていますが、財政も厳しい。自治体の維持が今後の大問題です。

そもそも原発の計画が持ち込まれた時点で、地域は分断されているんですよ。仲良し同士が賛成派と反対派に別れてしまう。

避難所に行って、玄侑さん、何か話して下さいと言われても、言えないですね。ただ聞くしかない。聞くとね、「とにかく明日が見えない」と言うんですよ。「子供の声が聞こえない」「どこで死ねばいいのか」と。こういう人たちに「がんばれ」とは言えない。

私も震災後、子供のころに疎開していたいわき市に行ったら、友だちがみんな打ちひしがれていて、かける言葉がなかった。原発を批判するのは簡単ですが。

被災者を前にすると、難しいですね。

復興に向けて

復興というけれど、そんな簡単な問題なのかという根本的な疑問があります。
日本はとうに成熟社会を迎えたのに、それでも成長しなくちゃいけないというトラウマにとりつかれて、むちゃな失敗を繰り返してきました。地方はその犠牲になってきました。
では都会は良いのか。都会は本当に不自然なコンクリートジャングルの中で、営業と消費しかやることのない人たちが争っているような、非人間的な空間なんですよ。かたや、地方は地方で経済的に成り立たなくなり、原発も引き受けて生き延びてきた。だけど、これは架空の生き方ですよね。虚構なんです。この構造を見直さないで、また昔のように橋や道路を造って、同じ方向に復興するのか。そうじゃないだろう。日本はまず第1次産業をもっと大事にしないといけない。

世界から東北の被災者は秩序だってすばらしいと称賛されました。これは第1次産業の被災者が多いからです。農業も漁業も天災は当たり前で、ある意味、日本一あきらめのつく人々なのです。ですが、原発に象徴される人災は別です。効率最優先のシステムを大転換させなければ、亡くなった方々に面目が立たない。

ところが今の政治体制も、理念無き政治家が選挙のために集まった、雑居ビルみたいな政党が二つあるだけになっちゃった。

政治家の愚かさが、この震災で際立ちましたね。限られた食べ物を自分は食べないで子供にあげている。そんな人々の横で、背広を着た大人たちが椅子とりゲームをしている。

生活者のリアリティーがまったくないんです。現場のにおいとか、第1次産業の暮らしなどがまったく分かってない。

だから、国からはむちゃな案が出てくる。宮城県は同じ湾の中に、例えば20人くらいの集落が五つくらいあって、縄張りを分けあって漁業を営んでいる。それを一つにまとめて高台に住んでくれという。これは両氏にとっては、現実離れした話なんです。自分の船が見えない場所に住むというのは信じられない。
漁業は、海が怖いのを承知でやっているんですよ。板子一枚下は地獄、死ぬかもしれないという覚悟がある。だから一生懸命、神様をまつるんです。東北沿岸部の神社の多さといったら尋常じゃないです。

世界中そうですね。漁村は。

20キロ圏内の牛を全部殺せというのも、畜産農家の生きる基盤をゆるがす問題。今も2千頭以上います。政府の東日本大震災復興構想会議の委員に任命されて、問題提起をしていますが、福島だけでなく宮城、岩手を含む3県にまたがる会議なので、原発関連の話はしにくいですね。

五百旗頭真(いおきべまこと)氏は構想会議議長に任命されたとたん「原発の問題は除く」と言ったんですよね。国の会議はだいたいそうだけど、あれは官僚がシナリオを書いている。演技が下手だから、言わされているんだと、すぐに見えちゃう。

初会合後の記者会見で、五百旗頭さんは「私見ですが」と前置きして「復興税」と言い出したでしょ。これも政府に言い含められていたんでしょう。政治家の言葉も軽い。木枯らし紋次郎みたいに、いったん口にしたことは絶対という風にならないと。

価値観の転換

経済成長にとりつかれたこのでたらめな社会は、核戦争か原発事故で終わると思っていましたが、このままでは無念でしょうがない。もっと自然に触れる環境、原初的な幸せを取り戻すような政治経済、思想を組み立て直す必要があるのではないか。

本当にその通り。今回のことは文明論の転換に持って行かないといけない。経済学者等は経済原理そのままに復興を考えていますが、太陽光発電など再生可能なエネルギーはローカルな集合体でしか成り立ちません。どこか1カ所に集中する集約的なシステムでは立ちゆかない。

経済学者シューマッハーは講義録や評論をまとめた著書「スモール・イズ・ビューティフル」を刊行し、仏教経済学を提唱しました。本物のお坊様を前に言うのははばかられるが、答えは仏教的なものの中にあるのでは。

被災者が近所の人と連帯して何とか堪えているのは、都会にはない近所づきあいの文化的土壌が残っているから。東北は日本経済のどん尻でしたが、私には今、それが先頭に見えます。寺ではあえて炭を使い、鉄瓶で湯を沸かします。こうした非効率的な暮らしを選択する生き方が、今後の新しい文明の方向性を決めるのかもしれません。

今の社会はどんどんごみが増える浪費経済を便利だと言っている。トイレに入ったら、ふたが自動でぱっと開く。便利だと喜んでいるけれど、これは便利なのではなく、愚かなのです。ない方が質が高い。私は自動ドアだって反対だ。

我慢ではなく、簡素に暮らすのがかっこいいということになってほしい。葬儀の祭壇に年間とおして菊がある必要はありません。季節の花で良い。年中、菊を咲かせるためにどれだけエネルギーを消費していることか。

経済成長の神様を信仰しているんだな。資源は有限なのだから、永遠の経済成長はあり得ない。経済学は、資源を収奪した結果の環境悪化というマイナスを考慮していない。
人が本来、いろんな感情を託したり、気を配ったりできるのは、1、2キロ四方です。その範囲が幸せなら、人間はもう幸せなんです。それを無理に広げて競争すると、ほとんどが敗残者になってしまう。

地方の復権

スモール・ワールドという概念があります。脳の効率的なネットワークをモデルに人間関係を考えると、ご近所が緊密に連携するのが重要だと分かる。その方が遠くへの情報発信力も出てくる。

ところが今は地方分権といっても、中央が「権限を分配してやる」といって、管理しようとする。

この地方は歴史的に中央に物資や人を提供し、奉仕してきました。今回は国家から福島県に謝罪してほしい。自然エネルギー特区の話も、また東京へのエネルギー供給者になるのはごめんです。

太陽光などの自然エネルギーは優れて地域的なものですよね。

はい。福島県には医療と福祉、研究の総合リゾートを作るべきだと思っています。福島県はがんの陽子治療拠点があるなど、もともと医療水準が高い。海外からの研究者にもノービザで訪れてもらい、小児がんや甲状腺がんを含めて被ばくに関する研究を継続的にできるようにしたい。

東北が日本の最先端になるという、社会全体の意識を逆転することを考える必要がありますね。

東北の被災者は今、気持ちに区切りをつけるための儀式を求めています。今も「補償金や義援金が来たら(生活費に充てるよりも)お葬式をしたい」と言う人が多い。プレハブの本堂で、お経をあげてもらって初めて泣いたという被災者もいます。

本来、人は生まれ育った土地にしがみつく。その土地で死ねたら幸せと思う。しかし効率優先の近代社会では、そういう感情は無駄だと斬って捨てる。
木の葉に着目して独自の産業を興した徳島県上勝町など新しい経済社会の在り方を模索している自治体もある。ドイツで環境問題に取り組む「緑の党」も地域から生まれました。復興は長く時間がかかるでしょうが、信念を持ってやり続ける人材が出てきてほしい。

被災地によって災害の形は違う。地域行政の首長にもっと権限を持たせて、自由になるお金を渡してほしい。

日本は明治以来、中央集権、官僚独裁で、何度も失敗を繰り返してきました。中央に任せたら、このざまで何もしてもらえない。自分たちが主人公だという意識が地域に芽生えていく時期なんです。自分たちで切り開くしかないんですよ。

2011/07/04 北海道新聞掲載

タグ: 対談・鼎談・座談会, 東日本大震災