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東日本大震災から半年

東日本大震災と東京電力福島第一原発事故から半年を迎え、福島民報社は政府の復興構想会議委員を務める県立博物館長・赤坂憲雄氏と三春町在住の芥川賞作家・玄侑宗久氏の対談を企画した。
両氏は地域特性に即した多様な復興策が必要との考えで一致し、放射線医療の拠点整備等新たな地域振興策で古里の再生を図るべきと提言した。

出席
復興構想会議委員 県立博物館長・赤坂憲雄氏
復興構想会議委員 芥川賞作家・玄侑宗久氏
聞き手 福島民報社取締役 編集・論説担当 浜津三千雄

県内の現状

本県に未曾有の被害をもたらした大震災と原発事故から半年が経過します。現在の県内の状況をどのように捉えていますか。

南相馬市の海岸線を歩くと、土砂で埋まっていた集落が雑草に覆われていました。風景の変化に、震災や津波の記憶が忘れ去られてしまうという恐怖を感じました。そうした中で、復興に向けた政治の動きは後手に回り暗たんたる思いに駆られます。被災者の不安に思いを差し向けるという能力が、あまりにも欠けています。

災害心理学は大規模災害後の人間の心理を四段階に分類しています。発生から半年するとさまざまな幻滅を感じる時期に入る。行政の大胆な支援が必要になります。今、真っ先に行うべき事は放射性物質を取り除き震災以前の環境を取り戻す除染です。しかし、政府は廃棄物の最終処分法も決めることが出来ない。むしろ、市町村の動きの方が迅速ですね。

除染は喫緊のテーマとなりました。県民が生まれ育った場所で安心して生活するには待ったなしの課題ですが、市町村レベルで対応できる問題ではありません。廃棄物の処理法を示さなければ動揺が広がります。県には除染に全力で取り組む前向きなメッセージを発信し、県民の心を支える役割が求められています。

放射線の人体への影響について専門家の意見が分かれ、県民の不安を招いています。

放射能の影響に、過敏になりすぎている面もあります。原発事故以前にも、冷戦時の核実験などの影響で国内の土の中には放射性セシウムが含まれていたといいます。客観的な数値を示した上で、安全性を議論すべきです。

専門家の話を聞くと、年間100ミリシーベルト以下の被ばくが健康に影響するかどうかはっきりしない。意見を異にする人たちが公の場できちんと議論すべきです。そして、徹底した情報公開の上で判断を委ねるべきです。

データがないものについて意見を交わせば、別な宗教同士の論争と同じになってしまう危険性があります。公開の場で論議すれば、人間はどうしても安全を説く話より危険を訴える意見に同調する傾向があります。難しい問題です。

幼い子供を持つお母さん方が特に、放射線の影響を心配しています。放射線量の比較的高い地域では、県外に自主避難する動きも止まりません。

子供の一時的な「疎開」、とりわけ県内の「疎開」には一定の支援も必要になるでしょう。原発事故発生直後、放射線量の低い場所から高い所に避難する残念な出来事がありました。信頼できる線量マップを作り、避難が可能な県内の場所を公表することも大事です。

赤坂さんのおっしゃる対応を取った場合、年間何ミリシーベルトまでの被ばくを認めるかという結論が導ければいいと思います。飛行機に乗ってもレントゲンを撮影しても一定量の放射線を浴びます。そうした事実も考えた上で、冷静な議論をすべきです。しかし、今は放射線に関する情報への信頼が失われてしまっている。誰を信じていいかわからない。これは不幸なことです。

地域の絆

原発事故で双葉地方八町村を含め、県内十三市町村の住民が避難生活を送っています。地域の絆を守っていくことは容易でありません。

神社・仏閣はコミュニティーの中核ですが、東北地方は特にその色合いが濃い。被災した神社・仏閣の再生なくして、地域社会の復興はないと考えます。避難者には、壊れた墓石を直したり、位牌(いはい)を持ち帰りたいとの思いが強いようです。構想会議で宗教施設への支援を訴えましたが、認められませんでした。憲法違反という判断があったようですが、官僚的な発想だと感じました。

津波の被災地で位牌や結婚指輪とともに、祭りの衣装を探して歩く住民の姿を目にしました。地域社会と住民同士の絆を形作っているものが何か、分かるような気がしました。墓地、お寺、神社がなければ共同体の再建は難しい。

避難者の仮設住宅への入居が進んでいますが、どんなに戸数が少ない場所でも集会所が必要です。仮設の神社を設けてはどうでしょうか。そうしないと、氏神信仰の維持は難しいと思います。

過疎化などの影響で、地域の祭りが消滅するケースが相次いでいます。震災により、地域社会の伝統行事を守り続けていくことの大切さを再認識しました。

震災後、市町村、地域ごとに「分断」が生じている事実も見逃せません。例えば、全村避難となった飯舘村と政府の避難指示の出ていない福島市は事情が全く異なる。南相馬市は避難指示と無指定などの地域に分かれている。原発という地域の中核を失った立地町では、さらに事情が変わってくる。コミュニティーの維持、再建に向けてそれぞれの地域特性を理解しないと議論が進みません。戦略も違ってきます。

行政の動き

行政の対策をどう評価しますか。

国の動きはとにかく遅い。復興構想会議は六月に提言をまとめましたが、「中間提言」ではなく「最終提言」に近いものとしました。スピード感を持って復興策を進めるという被災者への思いやりが欠けています。一方、県と市町村は、国の動きを待っているのではなく、自らの地域社会をどう再建するか積極的に国に提案してほしい。構想会議では、私自身は自然エネルギー特区構想などを提案しています。

校庭の放射線量を低減させるため表土除去に最初に乗り出したのは、国でなく自治体でした。除染作業にしても、学校は文部科学省、農地は農林水産省、道路は国土交通省と管轄が縦割りです。構想会議の提言を実現するには、その壁を乗り越える必要がありますが、政治力が低下しており実現していません。

仮設住宅を見て驚きました。風呂場から家中、這うようにホースを回して洗濯機に水を入れている。生活する人を考えた設計をしていない。

仮設住宅を建てる業者の選び方も考えてほしい。三春町では地元の大工さんが造った建物がありますが、大変立派です。地域事情を知る人に、もっと任せるべきです。

役場機能を移した町村などは財政基盤が先細りすることも懸念されます。基礎自治体に対する支援も不可欠です。

同感ですね。被災した県内の自治体を財政支援する財団が間もなく設立されます。世界中から資金を募って運営しますが、国や東電の手が届かない部分を支援する予定です。

東京電力から個人に支払われる賠償金とは別に自治体運営に対する賠償も検討すべきでしょう。それから、県内の子どもの教育を支える基金を、ぜひつくりたい。県外転出を防げるはずです。

脱原発

赤坂さんは「脱原発」を打ち出した県復興ビジョン検討委員会委員も務めました。「原発との共生」を進めてきた本県にとって歴史的な提言となりました。

原発事故によって痛めつけられた本県は、原発に依存しないことを明確にしておかねば未来へと足を踏み出せません。そうでないと、福島第二原発を再稼働する議論も浮上しかねない。原発は戦後経済に欠かせない「仕掛け」で、中央集権的、植民地的な発想で動かされてきました。電力を使う東京から遠く離れた双葉地方などで発電しているわけですから。巨大過ぎる電力供給システムから抜け出すべきです。幸い、自然エネルギーについての研究レベルは相当上がってきました。地域分権と自治に根ざした新たな発電の在り方を考えたいものです。

豊かさを求めながら脱原発というのでは、これまでと同じ道を歩んでしまうはずです。巨大ではない電力供給の方策を探るべきでしょう。風力や太陽光発電も巨大になれば弊害も多い。風力発電を例に挙げても、風車の群れが何ヘクタールも並べば風景も異様だし無数の鳥を殺します。ローカルな閉ざされた発電の形態を目指したい。「東京に全てがそろっていればいい」とか、「三春になくても郡山にあれば問題ない」とか、そういう集約化の発想を認めた先に原発があったと思うのです。

原発には、浜通り地方の雇用を支え、地域経済を豊かにした側面もあります。脱原発を前提に、今後の地域振興策をどう描きますか。お二人の提案が基になった政府の復興基本方針には、本県に放射線医療の拠点を整備する構想が盛り込まれました。

研究をどんどん進めるべきです。放射性セシウムのデータを集め、安全に関する客観的な基準値をつくってほしい。放射線研究を滞在型の医療・介護に結びつけ、原発事故で大きな打撃を受けている観光業の活性化にもつなげるべきです。生活習慣病の研究・治療も併せて進めることができれば、大きな雇用も生まれます。電力で失ったものを電力で取り返すと考えるのは危ない。

原発事故により、本県は今後、人類が直面すると予想される困難な課題を抱え込みました。福島の現実から逃げたら日本は終わってしまうでしょう。汚れた大地を除染する方法・技術を開発し世界に発信できるはずです。国から支援を受けながら、放射線医療の拠点となることも可能です。福島が今後、新たなライフスタイルを提案する場所になるよう期待しています。

福島の復興に向けた貴重な意見を、ありがとうございました。

2011/09/10 福島民報掲載

タグ: 対談・鼎談・座談会, 東日本大震災