書籍情報

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8047
出版社
ケイオス出版
出版社URL
発売日
2025年9月4日
価格
1450円+税 ※価格は刊行時のものです。
ISBN
9784909507075
ページ
150 ページ
内容
あらゆるものが重々無尽につながっている。
――いま世界が注目すべき『華厳経』の考え方を芥川賞作家がやさしく語る。
好評を博した『華厳という見方』の続編である本書は、『華厳経』の中でも重要な2つの章――菩薩の十の精神的ステージを説く「十地品」、善財童子の修行遍歴を描く「入法界品」に焦点を当てつつ、菩提達磨や白隠禅師の教えを通して、華厳と禅の関わりについても語る。
また『華厳経』の重要な主題である「重々無尽の縁起」をイメージしてもらうために、一つの生き物のような鳥や魚の群れ、虫と共に不思議な進化を遂げた蘭、分化する細胞同士のコミュニケーションなど生物の世界について語り、さらには「目的意識」に覆われた社会を批判する國分功一郎氏の所説を参照しながら、「西洋型の縁起」の入り口としてセレンディピティについて語る。
様々な喩えで「華厳の世界観」を示そうとした前著の問題意識を引き継ぎつつも、本書はより日常の生き方や修行のあり方に踏み込んだ内容になっている。
- これまでのステージからの根本的転換となる「十地品」第七の境地「遠行地」。そこで説かれる作為もなく努力もない「無効用(むくゆう)」とは。
- 「他力」と「自力」の両巨頭とされる親鸞聖人と道元禅師に共通する境地とは。
- 霊能者に自分の未来を見透かされてしまうのはなぜか。彼らは果たして未来を見ているのか。
- 今の行為を常に目的にいたる「手段」と捉える我々の煩悩を熟知した、白隠禅師の「因果一如」とは。
- 「入法界品」の主人公・善財童子は、なぜ行く先もわからない旅に出なければならず、どんな師匠からも必ず何かを学ばなければならないのか。
- 禅を伝えにきた達磨が洞窟にこもったまま、布教をしようともしなかったのはなぜか。『二入四行論』などに見られる「究極の平和的な態度」とは。
人との繋がりを見失い、「目的意識」ばかり蔓延する社会を越え、「華厳」の教えによる平和なあり方を探求した講演録。
もくじ
- はじめに
- 第一章 華厳という見方――「十地品」の遠行地について
- 理想世界が詳しく描かれた『華厳経』
「十地品」の第七の境地「遠行地」
作為がなく努力もない「無功用」
「目的」に沿ったものしか目に入らない恐さ
親鸞聖人の晩年の境地「自然法爾」
未来を告げる神がかりの予言者
物事の原因を一つに絞り込む霊能者
霊能者に未来を見透かされてしまう理由
「因陀羅網」のように動く鳥や魚の群れ
人間には「私」があるから悟りが開けない
バラバラに切り離された細胞は死んでしまう
三昧になると「仏の世界」に溶け込む
わが身をも心をも「仏の家」に投げ入れる
悟ろうと努力するのも迷い
中間的目標をもたない生き方
ふっと触れる「なすがままの時間」 - 第二章 因果一如という生き方――白隠の智慧と「入法界品」
- 我々は因果関係を正しく把握しているか
街場に熊が出てきているのはなぜか
ハマスとイスラエルはなぜ戦争を始めたのか
仏教の「同時」と生物学の「同期」
鳥の群れのふる舞いの不思議さ
素朴な因果律の疑わしさ
「インダラ網」という縁起の思考モデル
今の行ない以外には結果を求めない
目的をもつと無数のご縁が無駄になる
悟りも名利も求めない
「入法界品」に描かれる善財童子の旅
どこに辿り着くかわからない旅
慣れ親しんだ「シマ」を出る
宗教的な一芸に秀でた先生たち
苦行を求める先生を疑う
残虐な刑罰を見せる先生
すべての時が始まりの時
因果に期待せず、馬鹿にもしない - 第三章 結果自然に成る――達磨の禅と華厳思想
- 花が咲けば自然に実は成る
洞窟に引きこもった達磨
何かを外に求める必要はない
不思議な進化を遂げた蘭
共進化する生物、孤立する人間
所依の経典を決めないという智慧
仲良くするのに相手の理解はいらない
平和のシンボルとしての達磨
達磨の『二入四行論』
目標まっしぐらでは、ご縁は台無し
寄り道する子どもは認知判断能力が高い
六回毒を盛られた達磨さんのその後
あなたはすでに咲いている - 第四章 縁起力――因陀羅網とセレンディピティ
- 現代人を苦しめている「目的意識」
禅とは対極にある「ナチスの理想的人間」
嗜好品すら楽しめない世の中
無限の関係性のうえにある「今」
探していなかった幸運に巡り合う
大きな変化ほど、偶然の出会いに支配される
「運がいい人」も「悪い人」もチャンスは変わらない
離れて見る「般若の知」
坐禅の時は眼の焦点を一つに絞らない
「構えのある心」にしか起こらないこと
日本的霊性を歌った「むすんでひらいて」
網の目のコネクションに任せる「縁起力」 - むすびに