数年前、朝日新聞社から出た『週刊朝日百科・仏教を歩く 日蓮』に、宮澤賢治に関する玄侑さんのこんなエッセイが載っていた。
「だいいち『春と修羅』の序文にしてからが、般若心経の翻案である。『わたくしといふ現象は、仮定された有機交流電灯の、ひとつの青い照明です』というのだが、これは“色即是空”という世界認識そのものだ。ご丁寧にも『ひかりはたもち その電灯は失はれ』と書かれるが、ここで『ひかり』は空であり、『電灯』は色なのである。」
実に新鮮な、僧侶である玄侑さんならではの読み方だと思った。そこで急いで旧知の玄侑さんにメールを送った。そのうち賢治の作品を仏教者の視点から読み解いた本を出してください、と。その返事がふるっていた。
「そんなオソロシイことはできません。猛獣の檻(おり)に私の原稿を投げ込むようなものです」
賢治は今でも夏目漱石と並んで、年間の発表論文数が多い作家である。熱狂的なファンもいて、発表論文はあっという間に反論の嵐の中でずたずたにされるともいわれる。そうか残念だなあ、と思っていたら、去年から玄侑さんは月刊誌に『慈悲をめぐる心象スケッチ』の連載を始めたのだ。心境の変化か?「当時はそれが本音だったかもしれません。しかし、いつか書きたいと思っていたことも確かです。どうしてオソロシかったのかというと、基本的にはそれまで『法華経』を賢治のために読んだことがなかったからかもしれませんね。実際書き始めてみて、執筆にこれだけ苦労したこともなかった。連載中は短編をいくつか書いただけで、長編にはとても手が出せなかったほどですから」
賢治が帰依した『法華経』を道しるべに選び、“慈悲”というキーワードを通じて作品、家族との関係、人生を新たに照らしていった本書は、長年の賢治ファンにも新しい読み方を示してくれるはずだ。ときどきむずかしい仏教用語が出てくるが、それを通り過ぎれば“もう一人の賢治”に出会えるだろう。「今の時代に人々が欲し、また必要としているのが“慈悲”であることは紛れもないと思うのですが、それを求める目安として読んで欲しいと思っています」
2006/11/06 和樂(小学館)