2012年4月から7年半、新聞に掲載されたエッセー集。福島県三春町にある臨済宗福聚寺(ふくじゅうじ)住職の著者は、東日本大震災直後に父を亡くし、原発事故被災者のケアに携わりつつ、寺の改修工事を行い、復興構想会議の委員や震災被災青少年支援の「たまきはる福島基金」理事長も務めている。
想定外の人生で多忙を極めたが、「呻吟した挙句、まるで高波に抵抗するのをやめて身を任せるように、求められた要請を皆引き受けることにした」。
著者が好きな荘子は、状況の中でできたその時々の心にこそ従うべきで、予(あらかじ)め決めてある固定的な心などを奉るとおかしなことになる、と教える。先が見えないまま、変化する心のままに進むのには、相当に勇気が要るが、著者は「よくよく考えれば、それしかできないし、それこそが人生ではないか」と諦観(ていかん)する。
一方でナチスの強制収容所を生き抜いたヴィクトール・フランクルの「祝福しなさい、その運命を。信じなさい、その意味を」を実践する。「悲観主義は気分によるものだが、楽観主義は意志によるものである」というアランの幸福論に通じる。著者はそれを日本人の「両行」と呼ぶ。漢字と仮名、平仮名と片仮名、武家と貴族、わび・さびと伊達・バサラ、和洋と唐様、義理と人情、本音と建前など、何事も一本化せず、両極端の価値観を見据えながら、中道を行こうとする。両行は荘子に由来する言葉で、日本人は中国人よりそのごとく生きている。
新聞掲載時のタイトルは「うゐの奥山」。この言葉が出てくる「いろは歌」は死を説いた短いお経「夜叉説半偈(やしゃせつはんげ)」で、生と死の実相を見事に表現している。
江戸後期、風流な禅画で禅宗を広めた博多の臨済僧仙厓(せんがい)は、晩年、よく「みんな同じ年」と書いた。大震災では年齢に関係なく、2万人近くが一気に死を迎えた。生きているとは「誰もが横一線なのだ」という思いを、長い田舎暮らしでも実感する。
2020/05/31 世界日報