変化が激しく、想定を超えた出来事が次々と起きる現代をどう生きるか。三春町の芥川賞作家玄侑宗久(福聚寺住職)は、新刊「なりゆきを生きる-『うゐの奥山』つづら折れ」に東日本大震災後から現在までの心模様を率直につづっている。
東京新聞や中日新聞に二〇一二(平成二十四)年四月から二〇一九年九月まで連載したエッセー「うゐの奥山」の六十六編を収めた。「うゐの奥山」は「いろは歌」に出てくる言葉で、人生の例え。山を登るように「有為」の世界を生きてきたけれど、頂上を越え「無為自然」に至る-との意味合いだ。玄侑は「何を書いても人生に通じる。そんな思いで執筆を続けてきた」と連載を振り返る。
東日本大震災と東京電力福島第一原発事故、父の死、寺の大改修など、多忙な時期だった。ゆえに、それぞれのエッセーは多彩な内容になっている。「日々、うゐの奥山を登るつもりで問題に向き合ってきた。しかし、それは幻想だと気づいた。結局は『なりゆき』を生きるしかなかったのではないか」。連載を通し、強く感じたという。こうした思いから、出版に当たり「なりゆき」をタイトルに選んだ。
「なりゆき」は、「いいかげん」「流される」といった否定的な意味で使われることがある。しかし、本質は違うと言う。「日常は変化し続けている。その都度、現状を見詰め直さないと、次の一歩は踏み出せない。それが『なりゆき』を生きるということだ」。立てた目標を強引にでも成し遂げるのではなく「変ずれば通ずの心得」と話す。
もうすぐ出版というときに、新型コロナウイルスの感染が世界的に拡大し、人々の暮らしに大きな影響を及ぼした。「今後どうなるか、今ひとつ見通せないが、時々刻々の変化に応じていくしかない」。コロナ時代を生きるにも、やはり「なりゆき」が重要と説く。新刊には、人生のヒントが詰まっている。
「なりゆきを生きる」は筑摩書房刊、千七百六十円。
2020/06/21 福島民報