なんという真摯な魂の記録、そしてなんという禅の本質的な表現であることだろう。それがこの『隻手の音なき声』(リース・グレーニング著、上田真而子訳、筑摩書房)を読みながら、何度も何度も私の胸に波のように押し寄せた思いであった。
禅について、言葉で表現する機会のある私には、この本が今後、警策のような存在になるかもしれない。そんな予感ももった。つまり、ウカツな言葉を戒め、しかも表現から逃げることも許さない。そんな厳粛な気分を迫る本であり、私にとってこの本は、ある種の古典になるのではないかとさえ思った。
ドイツから禅を学ぶため、すべてを「棚上げ」して日本にやってきたグレーニングさんは、じつに希有な師匠と同道者を得て、その大いなる旅路につく。
本書ではあまり語られない部分だが、おそらくその旅路の初めには、奈落へと続くような深いクレバスが口を開けていたことだろう。つまり東洋と西洋では、自我に対する認識が決定的に異なるため、日本人にはごく自然に受け容れられる事柄も、時に西洋人には滂沱の泪や痛みを伴わなければ受容されない。私も何人か欧米人に坐禅の指導をしたことがあるが、彼らがそのクレバスを越える際に起こる大変革は、我々には信じられないほどの激震を伴うようなのである。何人もの欧米人が坐禅中に泣きだすのを見て、私はそう感じている。
加えて彼らの旅路には、禅堂での習慣以前に、慣れるべき日本人の生活習慣という困難なアプローチが添えられる。食事、所作、居住環境、どれをとっても、若くはなかったグレーニングさんにとっては、プライドの危機とも云えるほどの事件であっただろう。
しかしグレーニングさんの恐ろしいほど鋭敏で柔軟な精神は、それらすべてに逸早く禅を嗅ぎとる。日本での生活すべてが禅なのだと、どんな日本人よりも自覚的に受けとめ、それらを受容していくのである。
これは偉大なる旅の記録である。
読みながら私には、道場での厳粛でありながら滔々たる暮らし、そして問答の迫真の時間なき時間がありありと甦ってきた。また今も自分が、同じ旅の途上にあることが頻りに思われてならなかった。老師が私に示してくださった「無慈悲な慈悲」も、懐かしさや有り難さを伴ってありありと甦るのである。
この本は、禅そのものから発せられる言葉の力に満ちている。グレーニングさんが苦渋の底や歓喜の極みから発する言葉たちは、おそらく人間ぜんたいに共通する命の言葉として、今後も輝きつづけるだろう。
そこには、訳出された上田真而子氏の感性や、その夫である上田閑照氏の哲学も大いに与っている。それは確かだ。いやじつは、グレーニングさんが旅の途中で見た景色の描写にさえ、私は上田先生ご夫妻の認識や感性の影を感じていたのである。
グレーニングさんの旅は、いわば翻訳という作業によってもう一度、同じ旅の同道者たちに反芻されたのだ。
なんというゴージャスな旅、そして今は亡きグレーニングさんへの、なんという有難い供養であることだろう。
西欧人であれ日本人であれ、禅を学ぼうとする人のいったいどれほどが、これだけ豊かな旅を体験できるだろう。しかもこの旅の記録は、豊かであるだけでなくじつに普遍的である。それは西欧から禅を学びにきて戻っていく人がそれほど多いという意味ではなく、グレーニングさんが旅から戻っていった場所の普遍性に依っている。
「隻手の音なき声」が聞こえる場所とは、人間の普遍的故郷なのである。変な云い方かもしれないが、これはじつに古典的な旅でもあるのだと思う。
こういう旅をした人は、古来無数にいたはずである。しかしその旅の記録となると、ここまで懇切なものは極めて稀だろう。ことに自我意識の西洋化した現代日本人には、この本の長いアプローチこそ有難いのではないだろうか。
仄暗い、幽玄な玄関、そして板張りの軋む廊下……。今や日本人にさえ懐かしいその入り口が、我々をこの厳しくも歓喜を伴う旅へと誘う。
どこへ辿り着くのか、そして途上にどんな景色が見えるのかも、むろん自分で旅してみなければ実感としてはわからないだろう。しかしこの本は、我々の誰もがじつは同じ場所に回帰する旅の途上にあることを教えてくれる。旅を先導しつづけた老師が末期のとき、お見舞いにドイツから駆けつけたグレーニングさんは老師から警策をいただいた。その警策が、今この本を通して我々にも手渡されたのである。
二人とも、終わりなきこの旅を、今も続けているはずである。
私も、この本を警策に見立てて後に続こう。
まじめに禅を学ぼうという人には是非ともお勧めしたい珠玉の一冊だ。
日本人にも欧米人にも広く読まれてほしい。
今、最も英訳してほしい禅の本、佳き日本の本、そして人生の本である。
2005/09/03 玄侑宗久公式サイト書き下ろし