さすけねって

 このところ、わが三春町では「さすけね」という方言がはやっている。いや、本当は、特にはやっているわけではないと思うのだが、なぜか今年の町のPRポスターに「さすけね」の一言が大書されたのである。
 標準語の「差し支えない」が音便になって縮まった言葉のようだが、差し支えない感じは「さすけね」のほうが圧倒的に強い気がする。「さ・し・つ・か・え」などと発音しているだけで何か差し支えが発生してしまいそうではないか。
 木の上、岩の間でも猿飛佐助は支障なく飛び跳ねたが、まるでその「佐助」のように、妨げるものとてない「無障害感」とでも言うべき感覚が、「さすけね」からは漂ってくる。「さ~すけね」と最初の母音を伸ばせばその感じはさらに強まる。最後の「ね」はむろん意味的には否定の「ない」だが、なんとなく同意を求めているようでもあり、思わず「うん、うん」と頷きそうになってしまうのである。
 もっと強く「差し支えない」感じを出したいときは、「さすけねって」と太鼓判を押す感じで言う。これなど片仮名で「サスケネッテ」と書けば、あたかもイタリアの洒落たお菓子の名前のようではないか。ティラミスほど高価ではなく、庶民の手軽なおやつとしてお楽しみいただきたい。
 イタリア語のティラミス(Terami su)は「私を引っ張りあげて。私を元気づけて」という意味だが、本当はサスケネッテのほうが遙かに人々を元気づける力をもっている。
 大丈夫でしょうか? 不安げに訊く人々に、当然のことのように「さすけねって」と答える。一気に息を吐く感じで言うとなお効果的だが、じつはそんな発言をする専門家を、今の私たちは求めているのである。
 お察しのこととは思うが、この町が「さすけね」と謳い、ポスターにまで印刷したのは、当然放射能の不安が念頭にあるからである。「さすけね」という文字は、日本三大桜の一つ滝桜の大写しの写真の上に刷り込まれている。
 現在の三春町は、最も線量が高い地域で毎時0.5マイクロシーベルト。配られた線量計で、環境放射線量もその累積線量も測定できるのだが、いかんせんその数字の解釈が一様ではない。まるで詩や小説の読解のように、解釈がばらばらになってもそれはやむを得ないね、という現在の風潮が問題なのである。
 たしかに「安心」というのは個人的な心情に支配される。しかし低線量被曝のような問題については、長年の学問的蓄積から専門家たちはある程度共通の指針をもっているはずである。
 「安全」「安心」と必ず二語つづけて言うこの国独特の状況は、科学的な指針を個人的心情で塗りつぶす構図のようにも思える。
 たとえば二〇一〇年四月に、日本人二人目の女性宇宙飛行士としてディスカバリーに搭乗した山崎直子さんは、十五日間の宇宙滞在で約15ミリシーベルト被曝した。これは今回の福島第一原発事故で被曝したほぼ最大値程度だが、JAXAの国際宇宙ステーションの被曝管理指針によれば、35歳から39歳までの女性の制限値は900ミリシーベルト。全く「さすけね」ということで、山崎さんはその秋に無事に次女を出産されている。
 「さすけね」と言いながら一方で除染を進めるこの町で、いま最も求められているのは、専門家による「さすけねって」という「安全」の保証なのである。

2013/10/01 星座 67号掲載

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