酒というと鹿児島では焼酎のことだが、酒といえばウイスキーを指した時代が私にはあった。二十代で小説を書き始め、しょっちゅう新宿界隈の飲み屋あたりでウイスキーをロックでやりながら、奇妙な波を描いて氷を溶かす琥珀色の液体を裸電球に透かして見たりしていた。その濃密で芳醇な香りと、それでも透明感を失わない不思議な液体をぼんやり眺めながら、こんな小説が書けたら、と思ったりしていた。
口に含んだ一瞬の刺激がほどなく喉から内臓に柔らかく浸みわたって熱になる。そんな口当たりも、作品で実現できればと思ったものだった。
はたしてそんな作品が書けているのかどうか、自信はないが、今でも様々な酒のなかでウイスキーだけは何となく「作品」という意識で眺めてしまう酒である。
先日大阪駒川で酒屋をしている親戚が「正しい水割りの作り方」で作った水割りをご馳走してくれた。私に背を向け、なにかマドラーで掻き混ぜるようなのだが細かい手口は見せてくれない。慎重に口に運んでみたが、なるほどそれは水で割ることで香りがけっして弱まらないことを教えてくれた。そこでも私は、やはり長編でも短編でも、このコクと香りが大事なのだなどと、作品に思いを馳せてしまうのだった。
2002/01 文藝春秋