掌の静脈はそれぞれ固有で他人とは違い、しかも一生変わらないのだと云う。この性質を利用して今年、マウス型の個人識別機が開発された。これからはパスワードではなく特定の手で操作しなければ動かないコンピューターが出現するだろう。
手の個別性も折りにふれて感じるが、手そのものが何かを記憶していると感じることも時としてある。頭では憶いだせないのにやり始めてみると手が勝手に動いてくれたり……。
ものを書いている時でも、ラストが近づくと頭で書いている気がしなくなってくる。全身のバランスのために普段は眠らせてある潜在能力が、開花するように思えるのである。
考えてみれば、羊のドリーちゃんも乳腺細胞から出来た。手も密かに、役割から全体性に飛翔できる日を夢みているのかもしれない。
あっ、一行余った。……手が嗤っている。
2002年 季刊銀花 冬百三十二号