宗門人、つまり特定の宗派に属する私には、道元禅師の曹洞宗でなくて佳かった、というのが現在の正直な感想である。禅師はあまりにも巨大であり、しかもその巨大さが著書として残っているからである。
イエス・キリストも釈尊も、自分ではものを書き残さなかった。そのことで、どれだけ後世の宗教者に地域や時に応じた自由な説法の余地が与えられたか、計り知れない。
宗祖の巨大さは組織そのものの成り立ちにも影響する。我が臨済宗が十四もの大本山が並立しているのと違い、曹洞宗には整然たる総本山制がある。それも道元禅師の巨大さのせいだろう。だから、かなりの違いでも家風として受け容れてしまう臨済宗と違い、おそらく私のようなはみだし者には住みにくかろうと思えるのだ。
しかし蘭渓道隆は「済洞(臨済と曹洞)を論ずることなかれ」と言った。道元禅師にもその心がある。私にとっても禅師は多くの教えをくださった偉大な祖師である。しかも私が禅師の宗門に属さなかったことで、その出逢いは却って鮮烈であったように思える。私だけでなく、おそらく人は義務で学ぶことより勝手に学んだことのほうが心に染みやすいのだろう。
最初の出逢いは耳からだった。まだ僧侶になるまえ。知人のお通夜で聴いた「修証義」のなんとリズミカルで緻密だったことか。むろんそれは禅師の著作そのものではないし、高校生くらいだった当時の私にどれだけ理解できたかも疑わしい。しかし確信に満ちたその口調と隙のない言語、そしてそこに鏤(ちりば)められた禅師の言葉の力は、故人を導く杖として相応しいような気がした。
愛語能く廻天の力あるを学すべきなり。それはお通夜から離れても忘れられない言葉になった。そして振り返って教科書に載っている禅師の肖像を見たが、精緻な思考を窺わせる眼光と意思の強そうな顎のラインがきわめて強い印象として迫った。
その後は折に触れて『正法眼蔵』を読んだ。ただ通読したことはないため、気がつくとどうしても似たような部分を読んでいる「坐禅儀」「現成公案」「渓声山色」「諸悪莫作」「虚空」「生死」などだが、最も頻繁に開いたのはやはり「有時(うじ)」だろう。
ハイデッガーの『存在と時間』も、道元禅師の「有時」も、理解できたとは思っていないが、それでも「有時」は短いこともあり、噛みしめるように繰り返し読んだ。そして「唯識」を学んでから読み返した最近になって、ようやく「有時」が臍(ほぞ)落ちした気がする。
客観的存在も客観的時間も存在せず、世界は吾有時(わがうじ)そのものであると禅師は云う。「尽界にあらゆる尽有は、つらなりながら時時なり。有時なるによりて吾有時なり」
私は「有時」を理解するために、「物語」という言葉を使ってみた。
たとえば「昨夜寝て今朝起きた」と、我々は簡単に言う。しかしそのことは、「寝たときの今」と「起きたときの今」を「排列」してできた認識である。換言すれば「昨日寝て今朝起きた」という小さな「物語」なのだ。我々はそうした「物語」を産むことで時間をあらしめ、また自己存在を認識することになる。
むろん「排列」する際には省略も含む。たとえば「最近私はとても調子がわるい」という時間と自己を提出しようと思えば、たまたま調子がよかったことは全部省き、美味しかった夕食もはずし、面白かった映画や彼女との会話も削ぎ落としてようやく成立する「物語」なのだと知るべきだろう。つまりあらゆる時間もそこでの自己存在も、厳密な意味ではフィクションなのである。
過去・現在・未来と、時が一つの方向に流れていくなどと思うのは、仏道を専一に学んでいないからだと禅師は云う。三つの時制は実は「つらなりながら時時」と並んでおり、それを我々は「経歴(きょうりゃく)」している。この「経歴」こそ、「排列」からさらに複雑化した「物語」と云えるだろう。一つの「物語」を語るために、我々は無数の「有時」を如何様にもアレンジし、改変すると云うのだ。
痛快なことに、禅師は「修正」即ち悟りも一つの「物語」、「物語がないという物語」に過ぎないのだと喝破する。このときこそ明星が輝き、如来も出現する。しかし思弁的になりすぎないのが禅師の凄さだろう。結局「物語」を離れては生きられない我々のために、「住法位の活鱍鱍地なる、これ有時なり」と、説示してくださる。これは私には、これまでのあらゆる時におけるあらゆる私(尽時の尽有)が、活発に活き活き溌剌してくるような己のあり方を模索せよ、と聞こえる。我々はどこまで行っても時間的存在であることを免れない。それならば、という懇切なる説諭である。しかし「尽時の尽有」を剰(あま)すところなく「究尽(ぐうじん)する」というのは、遥かな道である。
禅師の言葉のとおり、目の前の松も竹も、かつて見た山も海も、あらゆる体験「彼方にあるに似たれども而今(にこん)なり」である。それならば道元禅師もその著作も常に而今(たった今)にあると言わねばならない。我々はいつでも道元禅師に聴くことができるのである。
自力と他力について考えていた時もそうだった。一遍さんも「自力他力は初門のことなり」と言う。「往生と名づけ見性と云う、あに両般有らんや」とは白隠禅師。盤圭さんは「我宗は自力他力を越えた我宗でござる」と仰る。しかし私には、道元禅師の言葉が解りやすい。「自己をはこびて万法を修証するを迷とす。万法すすみて自己を修証するはさとりなり」この「現成公案」にある言葉こそ、自力から他力、迷いから悟りへの推移を語って余りあるように思えるのだ。
臨済は「黙照禅」と曹洞宗を貶し、曹洞は「看話禅」と言って臨済宗を貶した時代があった。しかし「只管打坐」をも巨大な公案として見れば、その違いは論ずるに足りないことではないだろうか?
我々の幸福は、白隠さんの機法と道元さんの誠実とを、共に而今にもつことである。所詮は人生という巨大な公案のまえで、我々は方便も用い、しかも根源を見据えて「未悟」のまま「有時」していくしかないのだろう。
こんなことを書くと、またすぐに禅師のお叱りを憶いだす。「おおよそ仏法いまだあきらめざらんとき、みだりに人天のために説法することなかれ」(「深信因果」)そう言われると坊主も作家もやっていられなくなるが、しかし禅師は「半究尽の有時も、半有時の究尽なり」と言ってくださる。我々の中途半端なありようも、途中のありようとして認めてくださるのである。
むろん究極のあり方も、禅師ははっきりお示しになっている。
「ただわが身をも心をもはなちわすれて、仏のいえになげいれて、仏のかたよりおこなわれて、これにしたがいゆくとき、ちからをもいれず、心をもついやさずして、生死をはなれて仏となる」(「生死」)
私もただその時を夢見て、排列したり尽力経歴したりしながら「有時」してゆこう。
2003/4/8 道元を語る