美しくなっていく床

 私が小学校五年生のとき、我が小学校は木造部があらかた壊されて鉄筋コンクリートに造り変えられる工事が始まった。その二、三年前に中学校が火事で燃え、中学生たちが小学校にも通って仮の教室で授業を受けたりしたから、やはり木造では危ない、火事に弱い、というような議論があって改築がスムーズに決まったのではないだろうか。六年生になると卒業前に新校舎に入れてあげたいという配慮から、真っ先に新しい教室を使わせてもらった覚えがある。
 畳に限らず新しいものはそれなりに気持ちがいいものだが、どうもそれまでの木造校舎に比べると、掃除のときの気分が全く違っていた。木造の床は殆んど黒光りするような艶をたたえており、放課後の掃除もそれをもっともっと磨くんだ、という意識だった。つまりそれは、年々美しくなっていく床だったのである。先生のなかには床磨きに情熱を燃やす方もいて、それこそ糠の入った分厚い雑巾を持参させられた覚えもある。しかし鉄筋改築なった新校舎の床は、リノリウムを張ってあり、最初こそ綺麗だったが、だんだん傷ついて汚れてくる。この変化は、どんなに大事に使おうとどうしようもないのだった。
 やはり、磨けば磨くほど美しくなると思いながら掃除するのと、せいぜい汚れるのを目立たなくしようと心がけるのでは、同じ時間まじめに掃除していても自ずと違ってくる。木造校舎の床のほうが、知らず知らず夢を育んでいたような気がするのである。

2003/04/25 文芸ポスト

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