日曜論壇 第2回

形而上的おぼん

 お盆とは、もともとは旧暦七月十五日の行事だった。
 ということはつまり、お盆は必ず満月だったということだ。江戸時代になるとお盆は三日間に延長になるが、それでも必ず満月はつきものだったわけである。
 その昔仏教が輸入されるまえ、日本の暦は満月から始められていたらしい。どうも日本人には、満月は特別な思いを誘うようなのだ。その名残が旧の一月十五日の小正月。また七月の十五日にはやはりお盆のような先祖まつりが行なわれていたと云われる。そこにちょうど、中国から「盂蘭盆」という仏教行事が伝わったのである。
 満月を基準にした暦だった日本に仏教が伝わり、やがて推古天皇の十二年(六〇四年)、新月を基準にした太陰暦(旧暦)が中国から伝わる。以後満月から新月へ、基準が変わるわけだが、満月の行事として生き残ったのがお盆と涅槃会(お釈迦さまの命日)というわけだ。
 しかし暦はやがて明治六年、新暦という太陽暦に改められる。この地方のお盆などは月遅れの新暦八月十五日近辺に行なわれるから月も満月とは限らない。暮らしの表面からは月への思いが消えたかに見える。しかし民族の血は、そんなことで簡単に消えはしないだろう。
 日本人が初めて創造した「物語」は、『竹取物語』だった。ご存じかぐや姫のお話である。竹から生まれたかぐや姫はやがて月からの迎えが来てしまい、仲秋の名月の晩に月に帰ってしまう。月は昔から、身近な異界として存在したのだろう。しかし作者は、そこを憧れの場所として描くばかりでなく、人情の通じない世界としても描いている。もしかすると、月を死者の逝く場所と考えていたのだろうか。かぐや姫の故郷が「死者の国」では興ざめするかもしれないが、古来満月の晩に先祖祀りをしてきたというのはそういうことかもしれない。
 竹といえば七夕祭も憶いだす。これはもともと中国から星祭として伝わったものだった。中国では竹を立てたりはしないらしい。しかし日本ではこれがお盆と結びつく。旧暦では、お盆の八日まえが七夕。月は上弦だから星も目立ちやすいのである。
 よく短冊に願いごとを書いたりするが、あれは誰にお願いしているのだろう。星だ、と答える人も多いかもしれない。しかし、星を相手にどれだけ思いを深められるだろう。「死んだら星になる」という言い方もあるが、願う相手は、やはり死者ではないのか。日本の七夕で竹を立てるのは、先祖がお盆に間違いなくこの家に戻って来れるための目印だ、という説もある。
 そういえば私の住む地方では、新盆の家で高灯籠というものを立てる習慣がある。たいてい枝おろしした杉とか檜を庭に立て、その上に夜でも見えるように灯籠をつける。最近はわざわざ電線を繋げて電球をセットしてあるのも見かける。月から先祖たちがやってくるなら、暗くて見えないだろうから、という配慮だろうか。
 先祖さまが果たしてどこにいて、どこに戻っていくのか、私だってじつはわからない。しかし人情の織りなす行事のなかでは、来るときは馬に乗って一日も早くと急ぐからキュウリの馬を用意し、帰るときはのんびり帰るからナスの牛を用意する。まるでかぐや姫を迎えにきた車のようではないか。
 ご先祖さまは我々の人情のなかに間違いなく生きていて、月はおそらく、その人情を引き出す力を持っているのだろう。しかし新暦ひと月おくれのお盆は、今年は新月だから殆んど月が見えない。なんとも今年は、お月さまに助けてもらえない、形而上的なお盆になりそうなのである。

2004/08/08 福島民報掲載

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