莫迦

 以前、『全国アホ・バカ分布考』という本があった。題名に似合わずまじめな言語学の本で、柳田国男さんの『蝸牛考(かぎゅうこう)』を推し進める形で言葉の発生と伝播(でんぱ)について論じていた。
 つまり昔の言葉のほとんどは京都で作られ、それが同心円状に伝播したというのだが、そのサンプルとして貶(けな)し言葉の変遷を追っているのである。それによれば、京都周辺で使われている「アホ」などの言葉は新しく、東北や九州まで伝わった「バカ」「ヲコ」などはもっと古いということになる。「ヲコ」は「おこがましい」で、なんとか今に残っている。
「バカ」という言葉の語源は、その本では「馬家」になっていた。つまり、中国に馬さんという人がいて、その家の息子が家をつぶしてしまう(破家)ほどの愚か者で、「馬家」そのものが愚かさの代名詞になり、その言葉が平安時代の日本に伝わったというのである。
 しかし別な説もある。これはもともと僧侶の隠語で、サンスクリットの「モハー」(moha)に漢字「莫迦」を当てたというのだが、「モハー」とは「痴」の意味である。
 なるほどさすが当て字のウマイ中国、お釈迦(しゃか)さまの「迦」に否定の「莫」を添えた。仏教徒ならずとも、納得できる字面である。一説には「マハーラカ」(=魔訶羅=無名の意)の転ともいうが、無名であることが「バカ」というのは了解しにくいだろう。
 いずれにしても、「馬鹿」と書くのはあまり根拠がない。秦(しん)の悪臣趙高(ちょうこう)の「鹿を指して馬という」との説が室町時代の『運歩色葉集(うんぽいろはしゅう)』に採録されているが、あまり説得力がない。だいたい「馬鹿」では「バロク」と読むのが普通である。
 しかし当て字とはいえ、お釈迦さまのようでないのを「莫迦」というなら、ほとんどの人が「バカ」ということになるだろう。最近は『バカの壁』をはじめ「バカ」という言葉が大手を振って歩いている。あの本の趣旨も、誰にでも『バカの壁』があるということだから、「莫迦」の字面とも矛盾しない。
 それでも「バカ」という言葉は「アホ」よりも侮蔑(ぶべつ)度がつよいので、ご使用にあたっては細心の注意が必要になる。上に「いやん」をつけると途端に柔らかくなるが、それでは締まらない。さても日本語は難しい。

2005/01/12 徳島新聞ほか 暮らしの中の仏教語掲載

書籍情報



題名
さすらいの仏教語
出版社
中央公論新社
発売日
2014/1/24
価格
760円(税別)
ISBN
9784121022523
Cコード
ページ
193
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