ホラ吹きとは、一般にはウソつきのことだが、時には事を大袈裟(おおげさ)に話すことも含む。その場合は特に「大法螺(おおぼら)を吹く」と言ったりする。
ご存じのように、法螺とはもともと修験道などで使われるホラ貝製の楽器で、穴をあけて吹くと非常に遠くまでその音が響く。昔は戦場での進退の合図にも使われ、修験者たちも山中で猛獣を遠ざけたり、夜中あるいは霧の中などで自分の居場所を知らせるために吹いた。
「法華経(ほけきょう)」には「大法を説き、大法の雨をふらし、大法の螺を吹き」とある。つまり、仏の説法が堂々として、どこまでも遠くまで伝わるさまの形容に使われている。ただし、これが典拠になって法螺が使われるようになったのかどうかは、浅学にして知らない。
昔、東海林(とうかいりん)さんという荘司(しょうじ)さん(荘園の管理者)がいたため、東海林は「しょうじ」と読まれるようになったらしいが、それと同じ理屈で考えると、よっぽどウソつきの法螺吹きがいたのだろうか。
おそらくそうではないだろう。実際に法螺を吹くのを見ていると、あれは慣れた人でもけっこう大変そうである。一所懸命、顔を真っ赤に膨らませて吹く。
そのせいかどうか、「ホラ吹き」と言う場合、「ウソつき」となじられるよりもまだ愛情が感じられる気がする。必死な様子がほほえましいという感じがにじむのだが、どうだろう。ホラは許せるが、ウソは許せない?
「オオカミが来た」というのはウソだが、「自分はきっと大統領になる」なんてのはホラと呼ばれる。ホラには自分を鼓舞する効果もあるようで、時にそのホラが実現してしまうこともあったりする。
ウソから出た真ともいうが、ウソの場合と違って、たぶんホラには初めからなにか願いも込められているのではないか。「立派な弁護士になる」「日本一の農家になる」などというホラなら、どんどん吹いてほしいものだ。
考えてみれば、お経に使われる「スヴァーハ(そわか)」なんて言葉はホラみたいなものだ。「成就した」「めでたし」という意味で、祈りごとの後ろには、よくこの言葉が来る。「もう成就してしまってめでたい」とホラを唱えるのが、最も効果的な祈りなのである。
2005/01/29 地方新聞各紙