二月の半ばは、我々僧侶にとっては涅槃会(ねはんえ)の季節だ。たいていのお寺では、お釈迦さまが右手枕で横になった「涅槃図」をかけてお祀りするはずである。そこには大勢の弟子たちばかりでなく、禽獣類もたくさん描かれている。なかには上半身は女性、下半身が鳥という迦陵頻伽(かりょうびんが)もいる。美声を供養するために集合したのである。
一番弟子のマハーカッサパは遠くにいたため、なかなか到着できなかった。後継者である彼の到着を待って荼毘(だび)に付す算胆(さんたん)で、みんなその到着を待った。到着した彼は、まず当然のことにお釈迦さまの頭に近づく。しかし当時の彼の地での習慣にしたがい、遺体は香油を塗って布で何重にも巻かれており、頭部は露出してはいない。しばらく尊顔ちかくに佇んだマハーカッサパは、やがて唯一皮膚の露出した足許に向かう。生身のお釈迦さまに触れることができたからだ。しかし足は足だから、また頭のほうへ向かい、また足へ、頭へと、彼はぐるぐる廻ったらしい。これがお葬式で三回まわる「三匝(さんそう)の礼」の起源だといわれる。
それはともかく、お釈迦さまはどうしてそこまで慕われたのか、ここではその臨終までお悟りが開けなかった弟子、アーナンダへの最後の説法から考えてみたい。
お釈迦さまがいなくなってしまうことが不安でたまらないアーナンダに向かい、お釈迦さまは次のような説法をする。
「アーナンダよ、今でも、また私の死後にでも、誰でも自らを島とし、自らをたよりとし、法を島とし、法をよりどころとし、他のものをよりどころとしない人々がいるならば、彼らはわが修行僧として最高の境地にいるであろう。」(パーリ『涅槃経』中村元訳)
ここで「島」と訳されている言葉は、パーリ語の「ディーパ」。この言葉には「燈明」という意味もあるため、我が国ではふつう「自らと法以外を燈明として仰がない」というつもりで「自燈明 法燈明」と説かれることが多い。
まあ島でも燈明でも、とにかく頼りにするもの、すがりつくもの、というわけだが、自分と法(真理)だけに頼りなさい、とお釈迦さまは仰ったのである。
並の宗教者では、なかなかこうはいかない。たいてい、「私のこれまで話したことを守って」とか、なかには「とにかく私の書いたあの本を読みなさい」なんて言う人だっているだろう。私も呉々も注意しなくてはなるまい。
しかしお釈迦さまは、法と、それぞれの「自ら」だけが大事だと言い切る。中村元先生は、このことを以て、お釈迦さまは仏教教団の組織の長であることも拒絶していると見る。組織の温存欲という今の宗教の最大の陥穽(かんせい)にも、無縁な方だったというのである。
なんといってもお釈迦さまの最大の偉大さは、そのことではないだろうか。
しかしアーナンダの立場になって考えると、そう言われても困る、というのが正直な気分ではないだろうか。頼りにすべき「自ら」や「法」がわかっていれば世話はないのだが、それがわからないからこそまだ不安なのだから。
ここでの「自ら」は「アッタン」というパーリ語で表現される。しかし仏教では、同じ「アッタン」のない「無我」も讃えられるのだからややこしい。我々は頼りとすべき自分は「よく調(ととの)えた自分」ですよなんて言っているが、問題はその調え方なのである。調えた自分だけに、ようやく「法」も見えてくるのだろう。
2005/02/20 福島民報