言語道断と自業自得

 よく耳に馴染んだ四字熟語だと思うが、正確な意味はご承知だろうか。
 言語道断(ごんごどうだん)はよく「道」が「同」と間違って書かれるが、本来「道」は「いう」と読み、言語で道(い)うことが難しい不可思議な仏法のこと。禅語の「不立文字(ふりゅうもんじ)」とほぼ同じ意味だ。
 もっといえば、この場合は言葉でいえないほど魅力的だというのだが、現在の使われ方だと、言葉で表現できないほど怒っている。「まったく言語道断だよ」なんてのは「もってのほかだ」と怒っているのである。
 どうしてこんな変化が起こってしまったのだろう。
 その理由も、言語道断というしかない。
 もう一つ、ここでは自業自得を挙げたが、「業」とはカルマ。つまり、長年に蓄積された経験や知識によって培われるある種の方向づけの力。だから必ずしも悪いことばかりに使うわけではなかった。いわば大学に合格するのも自業自得。良縁に恵まれるのも自業自得なのである。
 しかし人間、やはりどこかに罪悪感をもっているのだろう。自分がかつて悪いことをしなかったなどと思える人は、皆無ではないだろうか。
 私の住む地方には「因果を見た」という言葉が訛った常套句(じょうとうく)「エンガみた」という表現があり、これも悪い結果が起こったときにしか使わない。過去の罪業の結果がこれだと、いわば納得するための言葉なのだろう。
 思えばそれは、他人のせいにするよりはよほどマシな生活態度だ。しょせん、世に起こる出来事の因果など、すべてが見えるはずはない。それならよいことが起きたときには「お陰さま」と感謝し、嫌なことが起きたら「自業自得」とわが身を見つめるのは、じつに仏教的な態度といえるだろう。
 悲嘆のときにも、腹が立つときにも、自分を見つめることでしか本質的な変化は起こらない。「言語道断」と他人を怒ってみても、なんの所得もないのである。
 しかしこれらの言葉、本来は、言語道断の瞑想修行で自業自得の仕組みを知ったお釈迦さまに由来することも、覚えておいていただきたい。

2005/02/26 地方新聞各紙

書籍情報



題名
さすらいの仏教語
出版社
中央公論新社
発売日
2014/1/24
価格
760円(税別)
ISBN
9784121022523
Cコード
ページ
193
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