日曜論壇 第8回

電話の電話、郵便の郵便

 最近どうも、電話に関係した電話が多い。要するに、新しいシステムができて、これまでより安くなるので加入しないか、というお誘いのようだが、どうも要領を得ない。
 要領を得ないだけでなく、なかには詐欺的な手法をとるところもあって、じつに困ることもある。以前、セールスの口調が「どの家庭もそうすることになっている」「まもなく切り替わるが、今すればタダだけれど、来年からは有料になる」などと云うので、つい応じてしまったことがある。
 しかし指定した日に来た工事人に問い質してみると、どうも話がよくわからない。それで結局断ったのだが、それ以後もべつに電話のことで困ってはいない。
 聞くところによると、今や電話の大手会社はセールスをほとんど小さな下請けあるいは孫請けの会社に任せており、お互いの情報整理は行われていないらしい。いわばそれぞれが勝手に商売に励んでいるだけで、一般家庭の事情を商売抜きで心配してくれる人など、いないのである。
 現在日本は、国をあげて郵政民営化問題に明け暮れている。政党の分裂まで起こっている状況だが、こうして商売に明け暮れる「民」を、どうしたら信用できるのだろう。
 なるほど国鉄にしても電電公社にしても、民力によって活性化した部分はあるだろう。サービスの向上もあったかもしれない。
 しかし忘れていけないのは、この投機的資本主義の世の中で、「民」は自らの利潤のみを追求するものだ、ということである。けっして個々の人が信用できないというわけではないが、システムとしてそうなっているのだから仕方ないのである。
 現在の日本では、福祉も幼児教育も、競争して勝ち、大きくなることで生き残ることが要請されている。大きくなると補助金がより大きくなるというのは、そういうことだろう。
 こういう現状のなかで郵便局が民営化されたらどうなるのか。商売にならない田舎の郵便局はなくなり、もしかするとポストだって撤去されるかもしれない。
 そんなことはない、と云う人々は大勢いるだろう。しかし公衆電話の激減を見てほしい。携帯電話を持たない人々への配慮は、明らかになくなりつつある。先日、お寺の公衆電話のガラスが割れたので、NTTに電話したら、そういう部局そのものが今はなくなったと云われた。お寺に大赤字の公衆電話を置きつづけているのは、いわば福祉のようなものだ。お寺だって利潤追求の「民」そのものになったら、毎年赤字の電話を置きつづけることはできないのである。
 郵政民営化そのものにモノ申したくて書いているわけじゃない。とにかく電話の電話が多すぎるのだ。以前ストーカーに狙われ、特定の電話がかからないように処理してもらったことがあるが、こういう無差別の電話ばかりは防ぎようがない。しかもその電話がNTTやらKDDIを語るのだから処置なし、である。
 郵政が民営化すると、いずれ郵便の郵便が来る日もあるだろうか。つまりうちで出したほうがこれだけ安いと、毎日ダイレクトメールが届くのである。
 ああ、時間も紙も労力も、なんともったいないことだろう。

2005/08/28 福島民報掲載

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