本当のことを云うと、私はうどん党である。ソバとうどんが両方ある店に入れば、必ずうどんを頼む。今回のご依頼があったときも、私はそう申し上げたのだが、それでも何か書くようにと仰る。
べつにソバが嫌いというわけではない。云ってみれば、私が偶々臨済宗に属しているようなものだ。それはご縁というものであり、私が選んだというより、うどんが私を選んだというべきだろう。ソバにはあまり選ばれなかったのである。
しかし不思議なもので、しぶしぶ依頼をお受けしたあとは、どうもソバによく選ばれる。講演で長野県の松本と山形県の村山市に行く機会があり、そこはもうソバの世界……。トンネルを幾つも抜けると、モリモリと新ソバが待っていたのである。
今も申し上げたように、私はソバを嫌っているわけではないから、そうして取り囲まれてしまうとなんだかソバに報いたくなる。最近の自民党と民主党のようなもので、政策に差がなくなると、近くのものに愛着を感じてしまうということだろう。無節操とも云える。
無節操かもしれないが、ここでは村山市の「あらきそば」のことを書いてみたい。
看板には「最上川三難所 あらきそば」とある。なんだか意味不明である。案内してくださった養源寺坐禅会の皆さんに訊き、三難所の意味はわかった。しかも「あらきそば」という名前は、荒木さんという方がしているのかと思いきや、さにあらず。なんと初代の芦野勘三郎氏が荒木又右衛門が好きで、よく講談を唸っていたからだという。なんとも人を喰った命名ではないか。人を喰うといえば看板には「手打ち仕る」という物騒な言葉もあった。まさか、と思いつつ店に入ったのだが、これが適度に緊張感とリラックスが入り交じった佳い空間であった。「注文の多い料理店」とは全く違ったのである。
出てきたソバは板ソバと云われ、太めのソバ色の麺が杉の小箱にハラリと散らされ、なんだかのびのびしている。あ、これはけっして伸びているという意味ではない。健やか、という感じがしたのである。そして一緒に出てきたのが不思議なほど真っ黒な代物で、しかも湯気なんか立てている。聞けばそれはニシンであり、五十年以上使っている合わせ味噌で煮てあるらしい。
のびのびした板ソバの横に、ぎゅっと黒いニシン。この組み合わせが絶品である。
私はうどん党であることも忘れ、無節操にその絶品を楽しんだのである。
若奥さんの話がまた無節操を煽るような話だった。新ソバは新米と同じでだいたい十一月が皮切り、冬場がウマイらしいのだが、いかんせん山形は積雪が多い。観光客は激減してしまう。観光客はたいていサクランボの季節、六月に集中してやってきてソバが食べたいと云うらしい。しかし梅雨どきなど、ソバにとっては最悪で、粉そのものに湿気が入り、おそらくソバが一番まずい時ではないかという。
ああ、なんという山形ソバの不運。そして私の幸運であることか。
私は、自分の幸運はともかく、ソバの不運に同情するあまり、あやうくソバ党に入ってしまいそうな危機を覚えた。のびのびぎゅっと、こんなに頑張っているのに、ちょっとそれは可哀相ではないかと、判官贔屓になってしまったのだった。
店を出るときは三代目のご主人まで見送りに出てくれた。そうなるともう、うどんへの節操など忘れはてている。郵政民営化に反対した自民党議員じゃないが、除名もやむなし、という気分になっていたのである。
帰りの車中、私は思わず荒木又衛門の講談を唸りたくなったが、残念なことに全く知らないのであった。
2005/12/25 季刊新そば