日本人は何度も春を祝う。
お正月には「頌春」とか「寿春」と書き、もう春を祝っている。また節分は本来一年に四回あり、立春、立夏、立秋、立冬の前日をすべて「節分」と呼ぶのに、特に立春の前日だけを行事として祝う。
春の節分に豆まきをして鬼を祓う儀式は、もともとは大晦日に行われていた「鬼やらい」の名残。鬼は陰の世界の象徴だから、つまり優勢な陰を追い払い、兆しはじめた陽を応援することでいち早く春を招こうとしているのである。
むろん梅が咲けばすでに春、そして桜や桃でいよいよ本格的な春の到来になる。私の住む「三春」という町など、この三つの花が一緒に咲くのが目出度いというので付けられた名前だと云われる。室町時代には「御春(みはる)」という表記も見られるが、いずれにしても春は素晴らしかったのだろう。
それにしても、こうして見ると日本人は、冬のあいだじゅう春を祝っているような気がする。
外は寒風が吹きすさび、長い氷柱が屋根から下がっているのに、昨日は七日で「七草がゆ」の日。皆さんも七草セットを買ってきて召し上がっただろうか。これは延喜年間(十世紀)から朝廷で行われた習慣らしいから、昔は七草揃えるのも一苦労だったのではないだろうか。
芹・薺(なずな)・御形(ごぎょう)・はこべら・仏の座(現在のコオニタビラコ)・菘(すずな。カブ)・蘿蔔(すずしろ。大根)これぞ七草と詠われる。これらを餅と一緒に粥に炊いて食すれば、万病を防ぐと云われた。
そうした行事を重ねながら少しずつ近づく春を待つ。それは古来日本人が、生活の知恵として実践してきたことだった。
しかし僅かな兆しを探してきて示し、気分だけを先に優勢にしてしまうという方法は、べつに春を待つ心に限ったことではない。思えば「めでたい」という言葉だって、本来は「芽が出そうだ」という程度の意味だろう。はっきり出たかどうかわからないうちから「めでたい」と言うことで、「めでたさ」を招いたのである。
我が宗でよむお経に『白隠禅師坐禅和讃』というものがあるが、その中にも次のように示される。
讃歎随喜する人は、福を得ること限りなし
普通は、福を得たら讃歎随喜すると考えるだろう。しかし禅師は、あくまでも予め讃歎随喜する人にこそ、福は限りなく来るのだと言う。
世に起こる出来事に、客観的に「めでたいこと」「めでたくないこと」があるわけではない、というのが仏教的認識だが、それはつまり、「愛でたい」「讃歎したい」という人が、それなりの証拠を探してきて目出度くなる、ということだろう。
予め春を愛でることで春の気分を先取りするように、愛でたい人こそが目出度くなる仕組みなのである。
世間を見ていたら、愛でたいことなど一つもない、という人も多いことだろう。戦争や不景気ばかりか、子供や老人という弱い立場を狙うモラルの欠片も感じさせない犯罪が相次いでいる。
しかしそれでも、大いなる意志的な楽観こそが世界を変えるのだと、私は申し上げたい。世界はあくまでも私の主観と混じり合って織りなされる織物だ。我々が冬からいくつもの春を祝うのは、世界をあきらめないお稽古なのだと思う。
2006/01/08 福島民報