この夏、二人の青年がお寺に別々に訪ねてきた。一人は滋賀県から、もう一人は埼玉県からだ。なぜ二人を一緒に語るのかというと、二人とも自転車でやってきたのが新鮮だったからだ。
埼玉県の十九歳の青年は、じつは去年一度訪ねてきた。受験に失敗し、今後の方針を立てるのに、私を訪ねようとしたのだが、三春町に到着したのは夕方だったため、どこか廉い宿に一泊して寺を訪ねるのは明日にしようと思い、たまたま目についた八百屋さんに廉い宿を訊ねたらしい。するとその八百屋の女将さん、「うちに泊まったら」と云ってくれたという。
そんなことが今の世の中にあることが嬉しい。しかもその八百屋さんは、うちのお寺の檀家さんだったのである。
彼はその後、私の勧めた東京のお寺で毎週日曜の朝は坐禅していたようだ。そのために便利な下宿に引越までして、である。そして今年、受験には落ちたもののそのお礼参りという意味合いも込めて、青森の恐山まで自転車で行く途中にお寺と八百屋に立ち寄ってくれた。
ようやく家に戻った彼は、今日メイルをくれた。
「恐山のあの荒涼とした大地に心を打たれ、白神の永遠と続く草木に時間というものを知りました。そして勉強がしたくなりました。」
来春の合格と、青年期のさまざまな味の果実を期待したい。
もう一人の滋賀県の青年は、じつは建設会社の社長の息子だった。たしか二十六歳だったと思う。大学の建築科を終え、他社に勤める経験もつんで今は父親の会社に勤務する。将来は間違いなく社長として後を継ぐ予定なのだが、この決められた「予定」に戸惑いや反発を覚えたらしい。挙げ句、自分はこの仕事に向いていないのでは、とまで考え、なぜか私のところにやってきたのである。
事前に、メイルがHPに入った。何日に着くか分からないが、お寺に到着してもし玄侑さんがいたら会ってくれますか、と。
「むろんいたら会うけれど、いなかったらどうするの?」
「そのときは、仕方ありません」
「わかりました。居ることを、私も期待しています」
そんな簡単なやりとりだったと思う。
ところがこの青年も運が良いのか悪いのか、たまたま訪ねてきた直後に、私が出先から戻ってきたのである。
二時間ほど話して、それから彼は友人のいるという山形を経由して滋賀へと戻っていった。おそらく今は、新たなやりがいを父親の会社で見つけていることだろうと思う。
思えば私自身も、無鉄砲な青年時代だった。北海道に家出して、キリスト教会に助けを求めたこともある。知らない人にお金を貸してもらったことも何度か。むろんお寺に泊めてもらったことも多かった。
しかし考えてみれば、無鉄砲は青年の特徴ではないか。青年の青年たる所以ではないだろうか。そうして人の温かさも冷たさも知り、今の自分に繋がっているような気がする。
今は無鉄砲に外国に出かける青年までいる。しかも自分の将来の悩みどころか、自衛隊の海外派遣に反対したり、そこでのボランティアのためというのだから当時の私より遙かに志がある。
しかし我が国は、今やその無鉄砲を包み込める八百屋の女将さんのような度量も失ってしまった。無鉄砲な青年は鉄砲で撃たれ、「自己責任」だと云われた。無鉄砲さえ守れない鉄砲が、守る国とはいったい何か。
2006/09/17 福島民報