京都相国寺の承天閣美術館で開かれている若冲展に行ってきた。
これほど人が行列しているのを見たのは何年ぶりだろうか。パンダかモナリザを憶いださせる盛況ぶりだった。しかもそこに私が並んだのだから珍しい。ふだんはたとえどんなに美味しいと云われるレストランであっても、行列を見ただけで逃げてしまう。
それだけ、今回の若冲展は見たいものでもあったわけだが、一旦(いったん)並んでしまうと後戻りが利かない回廊などのせいもあった。ともあれ私は、結局一時間以上行列に並んだ末にようやく目指す「動植綵絵(どうしょくさいえ)」の前に立ったのである。
一瞬、絵を遮るこの大勢の人々がいなければ、と私は思った。しかししばらく近づいて三十三枚の絵を見るうちに、私は逆に人がいるからこそこうして何気なく絵を眺めることができるのだろうと思った。つまりそれらの絵の連幅は、独りで向き合うには怖いほどの異彩を放っていたのである。
もともとこの絵は、伊藤若冲が父親の三十三回忌に向け、両親と自分の永代供養も願いつつ描いて相国寺に寄付したものだ。釈迦三尊像と三十枚の「動植綵絵」がセットになっており、それは本来この会場に飾られることが想定されていたのである。
不幸にして明治の初め、廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)に熱心だった京都府知事は動植綵絵のみ皇室に納めることを斡旋(あっせん)し、相国寺にはその見返りとして一万円が下付されたというが、今回はそれが宮内庁からの貸し出しによって全品揃(そろ)った。相国寺派の有馬頼底管長は、このようなことは二度とないだろうとおっしゃっている。
それにしても、以前から好きだった若冲ではあるが、今回この三十三幅に向き合ってみて完全にいかれてしまった。
日本仏教では『涅槃経(ねはんぎょう)』の思想に由来する「草木国土悉皆成仏(しっかいじょうぶつ)」という言葉がよく取り上げられるが、そこに活き(い)活きと描かれていたのはさまざまな鳥獣や魚、植物、いや、自然のなかの森羅万象と云ったほうがいいだろう。現代から見ても斬新なデザインと鮮やかさで、それらが精緻(せいち)に稠密(ちゅうみつ)に描かれている。
もともと自宅に鶏を飼って描くほど、写実には拘(こだわ)った若冲ではあるが、そこには写実を超えた何物かが躍動している。
私はラテン語の「アニマ」という言葉をいつしか憶いだしていた。本来その言葉は「呼吸」が原義なのだが、やがてそれは「魂」を意味するようになる。サンスクリットの「アートマン」と同様である。
一つ一つの命が、アニマとして曇りなく伝わる曼荼羅(まんだら)に、私は向き合っているのだと気づいた。
通常、肉眼ではこんなふうには見えない。我々の眼は、もっと焦点を絞りつつ、同時に意味的な偏差をかぶせながら世界を見詰めているはずなのである。
今回、私は若冲がかなりの熱心さで大典禅師に参じていたことを思い知った。禅とはけっして枯淡な世界ばかりではなく、本来このように腹蔵のない世界ではなかったか。「柳は緑、花は紅、真面目(しんめんもく)」も、「明歴歴(めいれきれき)、露堂堂(ろどうどう)」も若冲の釈迦三尊と動植綵絵に極まる。
私は彼が、自分と同じ五十一歳でかほどに曇りなく具さ(つぶ)に世界を見詰めていることに驚嘆し、ただただ深く合掌していた。
2007/06/03 福島民報